最後のBMCワークスカー、「ステロイド摂取したMGB」の魅力とは?

Andrew Morgan

短命に終わったMGCは、ドライバーズカーとして評価されなかった。レース仕様のMGC GTSは本来、MGCが秘めていたポテンシャルを感じさせもっと評価される存在に成り得たとリチャード・ミーデンは分析している。



1960年代、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)は、イギリス国外でのモータースポーツ活動において輝かしい成功を収めた。アメリカやヨーロッパへの輸出を促進するため優秀なエンジニアやドライバーを擁するBMCコンペティション部門は、国際レースやラリーの舞台で圧倒的な力を発揮したのである。

BMCのコンペティション部門は、モンテカルロで優勝したミニクーパーSで広く一般に知られるようになったが、アビンドンにある拠点からは実に様々なマシンが世に送り出された。ラリーや長距離ロードレースで活躍した通称「ビッグ・ヒーレー」から、サーキット走行やレースも得意とする数多くのMGまで多岐に渡った。それこそファミリーカーのオースチン1800サルーンでさえも、過酷なロンドン・シドニー・マラソンに参戦するためにアビンドンにてチューニングが施された。

最後のBMCワークスカー


BMCコンペティション部門が製作した車両のなかで最も魅力的で、最後の車両となったのがライトウェイトMGC GTSだ。シャシーナンバーは“ADO52/1060”で、“メイベル”の愛称で親しまれた。なぜメイベルなのかといえば、ナンバープレートが「MBL546E」で“MABEL”(メイベル)に読めたからだ。



1967年から1969年にかけてメイベルは4つの名門耐久レースに参戦し、当時最も速くかつ人気のドライバーの手によって、非常に印象的な好成績を残している。初戦は1967年のタルガ・フローリオで、やや紛らわしいことに“MG GTS”(Sはセブリングではなく「スペシャル」を意味し、テールゲートのMGCバッジからは「C」が外されている)としてエントリーしている。その時は、排気量2004ccの4気筒BシリーズエンジンとMGBの“フラット”ボンネットで走った。その理由はといえば、当時、まだ6気筒エンジンを搭載したMGCがデビューする前だったからだ。



余談だがメイベルは当初、BMCコンペティション部門の伝統であるタータンレッドに塗られていた。ところが、土壇場でタルガ・フローリオのオーガナイザーから“イタリアのナショナル・レーシング・カラーで走らないよう”にという要請があった。そこで急遽、ブリティッシュ・レーシング・グリーンに変更したもののエンジンルーム、インテリア、フロアパンなどは赤い塗装のままだった。

メイベルは1968年までには、完全なMGC GTS仕様となった(詳細は後述する)。セブリング12時間耐久レースでは、パディ・ホプカークとアンドリュー・ヘッジズが見事クラス優勝を果たし、総合10位を獲得。その後、メイベルはニュルブルクリンクで開催された84時間の長丁場イベント、マラソン・デ・ラ・ルートに挑戦し、トニー・フォールとジュリアン・ヴェルネーヴは総合6位という驚異的な成績を収めた。

メイベルにとって最後のレースとなった1969年のセブリングでは、クレイグ・ヒルとビル・ブラックという“平凡”コンビでクラス6位、総合34位だった。この年、姉妹車でナンバープレート“RMO 699F”(以下、RMO)が収めた総合15位のほうが、GTSの真のポテンシャルを物語っているといえるだろう。

レース終了後、2台のMGC GTSともにアメリカのBMC代理店に売却された。その後、複数のオーナーの手元を渡り、当時のオーナーであったヘンリー・カミサスカが2009年から2012年にかけてサンディエゴのラホヤにあるシンボリック・モーターズでフルレストアをおこなった。現在のオーナーはホール&ホールの創業者、リック・ホールでメイベルはイギリスに戻っている。

BMCコンペティション部門の仕事


MGCの市販車は6気筒エンジンが運動性能に劣るため、コンペティション部門はGTSを競争力のあるマシンに仕上げるために徹底した改良を施した。ルーフ、ドアパネル、フロント・カバーパネル、リア・ハッチ、大きくフレアしたフロントとリアのホイールアーチなど、MGCのスチール構造の中心部分を残しながら、ボディを新たにアルミの外装パネルで覆った。ボンネットはアルミ製だが、これはMGCでも標準装備されていたもので、2リッター直列6気筒エンジンを搭載したことで増えたボディ重量を軽減するための試みだと思われる。

レースチューンされたCシリーズのエンジンは、市販モデルのエンジンよりも55~60bhp高い200bhp強の最高出力を発揮した。オーバーボアピストンを組み込んで、排気量を2912ccから2968ccに拡大している。7ベアリングのクランクシャフト、軽量化とバランス取りされたコンロッド、フライホイール、クラッチ・アセンブリーを組み込み、エンジンが軽やかに回りキレのよいスロットルレスポンスを実現した。

軽量化のためシリンダーヘッドはアルミ製に変更され、圧縮比は10.25:1に高められた。バルブスプリングが強化されたほか、ロッカーアセンブリーの設定変更によりレブリミットは6750rpmまで引き上げられた。また、3基の45DCOEウェバーキャブレターが個別の合金製インレットマニホールドを介して新しいヘッドに取り付けられ、混合気を供給していた。



MGC GTSのモデルライフ後半では、さらなる軽量化への取り組みの一環としてエンジンブロックが合金製となった。この手の開発でありがちな話だが、造られた数や搭載された車両の正確なデータは残っていない。ただ、どうやらRMOには搭載されたが、メイベルには搭載されなかったようだ。

新しい軽量ボディを設計したのはMGBのチーフエンジニアで、アストンマーティンDB2/4やDB4を手掛けたことで知られるドン・ヘイターだ。なお、アストンマーティンの前はアブロ・ランカスター、スーパーマリン・スピットファイアなど戦闘機の設計に携わった人物で、申し分ない経歴の持ち主であった。

MGC GTSには優美さと機能性が融合していて、見るものを惹きつけてやまない。ホイールアーチの特徴的な膨らみは、後のフォードAVO(アドバンスト・ヴィークル・オペレーションズ)が作ったエスコート・マーク1でも見られる。これは偶然ではなくBMCのコンペティション部門を率いていたスチュアート・ターナーが、AVOを立ち上げるために引き抜かれたからだと思えてならない。筋肉質なルックスを与えたとともに、大径ホイールとワイドタイヤを収めるためとはいえ、MGC GTSのホイールアーチは随分なオーバーサイズぶりだ。もっと大きなホイールやワイドタイヤを装着することも予定していたのかもしれないが、そのような事実は確認できていない。読者諸兄はどうお考えだろうか。

ホイールアーチの形状もさることながら、細部にまで気を配ったデザインもMGC GTSの魅力である。ピットストップをサポートする固定ジャッキポイント、夜間走行時にRMOと区別するためのルーフマウント・マーカーランプ、2対の補助ドライビングランプ、右側Cピラーから突き出た大きな合金製フィラーキャップなど、メイベルにはレースのための付属品がふんだんに採用されている。実に「ワークスレーサー」らしい姿に仕上がっている。



インテリアに目を向けてみても、24ガロンの巨大な燃料タンクの上に取り付けられた大きなスペアホイール、ローカットのバケットシート、ベーシックなロールケージ、きちんとラベル付けされた各種スイッチなど、ワークスレーサーらしさに包まれている。50万人のシチリア人が観戦するピッコロ・チルクィート・デレ・マドニエを攻めるもよし、夏の晴れた日にブライトンパーク・サーキットを走るもよし、準備万端だ。





軽量アルミパネルがもたらした弊害がなかったわけでもない。特にニュルブルクリンク・ノルドシュライフェのようにコーナリング荷重が大きいサーキットでは、MGC GTSの車体は驚くほど変形することがあった。大径ホイールにワイドホイールという組み合わせでグリップ力が増していたので、レーシングカーとしては結構な痛手となったのは容易に想像できよう。ボンネットが歪んで開いたり(だから開発陣はレザーストラップを装着)、ドアが突然開いたりすることがあった。対策は、食器棚に用いるような真鍮製のスライドボルトだった。また、テールゲートにもレザーストラップが装着された。もっともMGC GTSの変形は意図的ではないにせよセブリング、シチリア島、ニュルブルクリンクなどの荒れた路面では、多少のコンプライアンスは悪いことではないのだろう。

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)

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