マックイーンが愛したXKSS
希少なジャガーXKSSの中でも最も有名な一台。スティーヴ・マックイーンが愛し、走り込んだ車が、ロサンゼルスの自宅に里帰りしたところを写真に収めた。
スティーヴ・マックイーンは車とモーターサイクルを愛したが、とりわけ速く走ることに目がなかった。中でも最愛の一台といえるのがジャガーXKSSだ。その愛情は、同じ車を二度も買うほどだった。
マックイーンの名声は1950年代初めに高まりをみせた。やがて富を手にするようになると、長く苦楽を共にしてきたMG TCから、もっと速くて新しいスポーツカーに乗り換えようと考えた。まずはオースティン・ヒーレー、次にはコルベットでロサンゼルスの街を走り回るようになった。だが、スローダウンしてほしいと妻のニール・アダムスに懇願され、いったんはフォード・フェアレーンに落ち着いた。しかし、これが続くはずもなく、1957年にはシアタ208を購入すると、すぐにポルシェ356スピードスターとロータス・イレブンが続いた。極めつけが1958年に手に入れたXKSSだ。
XKSSは純コンペティションカーのDタイプを公道用にコンバートしたモデルだが、Dタイプ時代のシャシーナンバーは" XKD569 " だった。XKSSの新車当時はクリームのボディに赤のインテリアだった。ダークカラーを好んだマックイーンは、ボディはブリティッシュ・グリーンに、インテリアは黒のレザーに仕立て直した。完成したXKSSを"グリーン・ラット"(緑のネズミ)と名付けると、マックイーンはロサンゼルスの街を駆け巡り始めた。警察に目を付けられていたのは有名な話だが、どうやら逃げ切ることが多かったらしい。ロサンゼルス市警はマックイーンを捕まえた警官への報奨として、ビバリーヒルズの名店"ロウリーズ" でのステーキディナーを約束していた。マックイーンは、XKSSを入手した1年目だけで、二度も免許を失いかけたようだ。
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