英国初のF1チャンピオンと美しき「ヒーロー」の物語 前編

Photography: Amy Shore


 
そこまで崇拝される理由をひもといてみよう。アウレリアは世界初のV型6気筒エンジン搭載車で、後部側にはインボード・ブレーキと並んでトランスアクスルが配置されている。また、一連の開発を通して、2種類の革新的なリア・サスペンション・システムが採用された。どちらもミシュラン社のラジアルタイヤであるXシリーズに最適化されたシステムだ。最初に採用されたのはセミトレーリングアーム式サスペンションとコイルスプリングの組み合わせで、このシステムが世に広く普及したのは、ランチアによる採用から約10年を経た、1960年代前半に入ってからのことだった。次に採用されたのはド・ディオン式サスペンションとリーフスプリングの組み合わせで、この方式は「WPD 10」にも採用されている。
 
外観にも目を向けてみよう。開発当初、B20のプロトタイプ・ボディは、ギア社のマリオ・フェリーチェ・ボアノによるデザイン画をもとに製作された。後にピニン・ファリーナが手を加え、セリエ2以降のすべてボディはピニン・ファリーナのスタイリングをもとに造られている。「WPD 10」の生産が始まったのは1954年4月3日だ。その頃になると、角ばりの少ないテールフィンにも見えるリアフェンダーの反り上がったラインが消え、よりピュアで丸みを帯びた後ろ姿に変貌した。"グランツーリスモ"型の流行とともに、飾り気の少ないシンプルな外観が好まれていった当時の時流に沿った傾向だ。側面に施されているのはシルに沿った明るいストリップのラインのみだが、それすらもあるいは余計と言えないこともない(セリエ1には施されていない)。


 
こうした背景から、アウレリアはホーソーンにとって完ぺきな車だった。ただし、彼はスタンダードのスペックにさまざまな変更を加えていたことにも注目しておきたい。バケットシートはレーシングモデルであるアウレリア・コルサのシートに似ている。おそらくコルサ用に生産されたシートを流用したものだろう。また、それにあわせてリアシートのレザーにもトリムが施されている。同様に、標準型ではコラムシフト(シフトリンケージを想像していただきたい)だが、よく交換用に使われているスポーツ仕様のアウレリアで見られるナルディ製のフロアシフトとも異なっている。
 
内装を見渡すと、スポーツ仕様のランチアによく見られるラバー製マットの上に、カーペットが敷かれている。ステアリングホイールはナルディ社の4本スポークだ。リム部はクルミ材製で、ドライバーの反対側に施されたスタッドがグリップを大きく向上させている。このステアリングホイールは、フェラーリのグランプリカーにも使われているタイプのものだ。ホーソーンを才能あるレーシングドライバーとして初めて世に送り出したのはライレーだったが、ライレーの運転を通して4本スポーク型のステアリングホイールが気に入った彼は、他のタイプで妥協しようとはしなかった。

さらに、エグゾーストは4本のテールパイプを備えたアバルト社製が備えられている。このように様々な変更のおかげで、このアウレリアには「ジャンル・スペチャーレ(同一モデルの中でも特別な車)」の栄誉が贈られた。トランクリッドに取り付けられたタグとバッジには、ランチアとピニン・ファリーナの2つの旗が交差した意匠が凝らされている。ホーソーン向けに生産されたダークグリーンのB20は1954年6月22日に完成したものの、12月に入るまで英国には届かなかった。理由は不明だ。1955年の『モーター・レーシング』誌によれば、ツーリスト・トロフィーのメカニックであるブリット・ピアースがトリノまで出向き、この車をファクトリーからピックアップして英国まで自走して戻ってきたという。



オーナーであるホーソーンと彼の愛犬が立ち会うなかで、このランチアのテストを行ったジュリアン・クロスリーからのレポートだ。アルプス越えも含んだドライブ行程は、さぞかし冒険に満ちていたことだろう。当時、ホーソーンはシラキュースGPで遭った事故で負った怪我の治療中だったが、「新しいオモチャ」はちょうどクリスマスに間に合ったというわけだ。

編集翻訳:伊東 和彦(Mobi-curators Labo. )  Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:フルパッケージ Translation: Full Package Words: John Simister 

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