芸術作品としての「ブガッティ」|歴史背景を感じさせる名車から家具、調度品まで

アートの目で見るブガッティ(Photography:Petersen Automotive Museum,Bugatti)



4. 1939年タイプ64シャシーとコンセプトボディ
3台が製作されるも、どれも完成に至っていないのがタイプ64。そこで自身で博物館を持つほどの自動車コレクター、ピーター・ミューリンは2003年、オリジナルのタイプ64(64002)をもとに、アートセンター・カレッジ・オブ・デザインの学生に、完成を目標とする挑戦の機会を与えた。ジャン・ブガッティが思い描いた最終形はどんなものになるのか、可能性を追求しようというものだが、中でもジャンによる世界初考案のガルウィング式ドアはこの企画のハイライトであった。最終的にアートセンター自動車部門の長、スチュワート・リードが形を仕上げ、マイク・クリーヴのオートモーティビル・メタル・カンパニーが製作、2013年に披露された。





5. オートモトリース・ラピード・ブガッティ・レイルカー・エンジン
タイプ41ロワイヤルが法外な価格設定が災いしてまったく売れなかったころ、エットーレはその直列8気筒1万2763ccエンジンを国営鉄道用に造り替えたことがある。"ブガッティ・オートモトリース・ラピード・レイルカー"とも"オートレール"とも呼ばれるそれは、2基ないし4基のタイプ41のエンジンブロックを縦につないでパワーを得るというものであった。実際、1932年から38年まで88両が製造され、そのいくつかは20年間稼働し続けたという。洒脱なフランス人旅行客は「ブガッティで旅しようぜ」などと言っていたのだろうか。




6. 1939/1949年 タイプ57Cアタラント
空気抵抗の少ない流れるようなルックスを持った軽快なコンバーティブル・ボディを、という顧客の要望に応えて、ジャン・ブガッティが設計したのが、キャビン上部までパネルで覆ったフィクストヘッドの"faux cabriolet"(訳註:フォ・カブリオレ=疑似カブリオレ)アタラントだった。第二次大戦直後は生産を再開しようにも資材を調達するすべもなく、ブガッティは工場に残っていた戦前の車の部品を使って車を造っていた。このアタラントもそんな一台で、1949年に製造された。タイプ57アタラントが17台生産された、ちょうどその年である。




7. 1932年 タイプ41ロワイヤル
各国の国王を乗せるために造られたロワイヤルは、1万2763ccのエンジンと14フィート(約4.3m)にもおよぶシャシーを持つ巨大な車でありながら、街では名の知れたカロセリの手になるボディが優雅に振る舞いながらも、郊外に出ればスポーツカー顔負けの動力性能を見せつけるといった、ふたつの顔を併せ持つ車であった。後ろ足で立った象のマスコットはレンブラント・ブガッティの作品だ。写真のクーペ・ド・ヴィル・バンデル(Coupe de Ville Binder)は、当初ジャン・ブガッティのカブリオレ・ボディをまとっていたが、1938年にアンリ・バンデルがデザインした現在のボディに置き換えられた。最初のオーナーは有名なエズデールである。



編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Photography:Petersen Automotive Museum,Bugatti

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