私たちの前に1台のメルセデス・ベンツ600リムジーネがある。新車と見紛うばかりのようなコンディションに驚かされるが、それ以上に私たちを魅了するのは、この車に刻まれた半世紀のヒストリーである。
故梁瀬次郎氏が愛用したメルセデス600なのである。
必要な要素は圧倒的であること
メルセデス・ベンツ600シリーズは、1963 年9月に開催されたフランクフルト・ショーにおいて、同社の最高位に位置するモデルとしてデビューした。それは周囲を圧倒する大きさの中に強力なパワーユニットを備え、威風堂々としたスタイリングは、メルセデス・ベンツの頂点に位置するプレスティッジモデルに相応しい品格を備えていた。ダイムラー・ベンツは、第二次大戦前、日本の天皇陛下御料車にも採用されたことで知られる770Kグローサー・メルセデスなどの超弩級プレスティッジカーを生産していた。すべての点で300シリーズを凌駕する600は、伝統の"グローサー・メルセデス" の血統を引き継ぐモデルであった。
ショーに集まった人々を驚かせたのは、その堂々とした体躯だった。サイズは長短2 種類あり、標準モデルの600(600リムジーネと呼ばれることが多い)でもホイールベースが3200 ㎜、全長が5540 ㎜、全幅は1950 ㎜とたっぷりとしたサイズだが、さらにロングホイールベース仕様の"600プルマン"では、全幅は変わらないものの、ホイールベースが3900 ㎜に伸び、全長は6240㎜にも達した。プルマンの全長はしばらくの間、チェッカー・エアポートリムジン(米国)などの特種用途車を除けば、世界最長の乗用車であった。ちなみに現代のS600Long(W222)のサイズはホイールベースが3165 ㎜でリムジーネに近いが、全長は5250 ㎜とだいぶ短く、全幅が1900 ㎜で600より多少狭い。
ボディは、開口部の大きなオープンボディ(ランドレー)を考慮した強固なプラットフォームを持つモノコック構造で、600では4ドア(5/ 6 座)、600プルマン(3列シートの7/8座)では4枚または6枚のドアを備え、このほか前述したようにプルマンには元首などがパレードに用いるランドレーが用意された。
搭載されたエンジン( M100)は新開発の90 ゚V型8気筒の6330 ㏄( 103×95 ㎜)SOHCユニットで、メルセデスが90゜V8レイアウトを採用したのはこれが初となった。
高速移動手段としてのリムジン
600シリーズが目指したのは、たとえばロンドンのシティー街など静々と走るプレスティッジカーではなく、アウトバーンを高速で疾走できる能力を持つことであった。もちろん低速走行も考慮していたのはいうまでもないが、主たる用途は高速移動手段、すなわちビジネスマンズ・エクスプレスであった。そのために、信頼に足る正確なハンドリング特性と強力なブレーキを備え、最高速度はリムジーネでは205㎞/h、プルマンでは200㎞/hに達した。ちなみに、その後に発売されるポルシェ911の最高速度が210 ㎞ /hであったことから、いかにメルセデス600が俊足であるかがわかる。0-100km/h加速はそれぞれ9.7 秒と12 秒でこなし、これも高性能なスポーツカーに匹敵した。
600シリーズは1964 年9月から販売を開始した。発売当時の価格はそれぞれ5万6500と6万3500ドイツマルクであった(Sクラスの最高位にあった300SELは1963年当時、2万6400ドイツマルク)が、この価格は英国のロールス・ロイス・ファントムVに比べて遙かに安価であった。ロールス・ロイス・ファントムは職人による手作業を多用して少量生産していたが、ダイムラー・ベンツは600シリーズをジンデルフィンゲン工場に新設した組み立てラインで流し、量産体制を敷き、需要に応えた。
600シリーズは1981年6月に生産を終了するまでの17年間に2677台を送り出している。その内訳は、600が2189 台、600プルマンは429台、オープンモデルのランドレーが59台であった。また、この中には43台のスペシャル・セキュリティ仕様(装甲仕様を示すのだろう)が含まれていることをダイムラーが明らかにしている。
日本へはヤナセ傘下のウエスタン自動車が1965〜73年に70台を輸入し、ヤナセのネットワークを通じて販売されている。内訳は600が61台、600プルマンが8台のほか、ランドレー1台も含まれている。日本市場での初めての一般公開は、1965 年秋に東京・晴海の国際見本市会場で開催された第7回東京オートショー(輸入車のみのショー)のことで、1250万円のプライスタグを掲げて展示されていた。同じブースに並んでいたSクラスの250Sは350万円、230SLは430万円であった。日本の代表的な小型乗用車である日産ブルーバード1300デラックスが65万円ほどで販売されていた時代のことである。
ブルーの600
今回取材したのは、ヤナセの社長/会長を務めた故梁瀬次郎氏が生前に愛用していた車で、5座席の標準的な600である。梁瀬氏にとっては2台目の600で、シャシーナンバーから推測すると生産後期の車だ(初代は薄いガンメタリックの塗色)。同社創立100周年に向けて2年前からオーバーホールを重ね、かなり良好なコンディションで、現在もヤナセによって手厚く動態保存されている。
取材の際には短時間ながらステアリングを握る機会を得たが、それはまさに路上の王座の風格であった。それが私の自己中心的な思い違いでないことは、周囲を走る車の反応からわかった。600の存在感に圧倒されるのだろうか、周囲が車間距離を大きくとって、決して近づこうとしないのからだ。路上で遭遇した某スポーツカーのドライバーは目を見張って脇見運転していたし、現代のSクラスのショーファーも同様であった。
運転者にとって助かるのは、サイズを意識させない視界の広さであった。高めの着座位置からはボンネットの先端まで視界の中にある。DB製の4 段ATとトルキーなエンジンによって、踏めば圧倒的なパワーを発揮し、またブレーキも強力なので、現代の道路状況のなかでも自信を持ってステアリングを握ることができた。
もし許可が得られるなら、1970 年代に600に乗り、1日で1000kmの取材旅行を敢行したという先達の逸話を再現したい衝動に駆られた。デビューから半世紀を経た現在でも、600はこの旅程を受け入れるパフォーマンスを有していることだろう。
文:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Words:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo.)
写真:芳賀元昌 Photography:Gensho HAGA
取材協力:株式会社ヤナセ http://www.yanase.co.jp/
撮影協力:小笠原伯爵邸(tel:03-3359-5830)http://www.ogasawaratei.com/
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