連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.30 メルセデス・ベンツSLS

T. Etoh

今の時代、メルセデス・ベンツSLSという名前を見ると、それはAMGが作り出した高性能スポーツカーと同義語であろう。しかし、今を遡ること65年ほど前、実はSLS projectなる開発がメルセデス内部で進行していたのである。

SLSと名が付いた最初のモデルはポーター・スペシャルと呼ばれたもので、アメリカのハリウッド郊外でチャック・ポーターという板金業を営んでいた人物がスクラップになったメルセデス・ベンツ300SLガルウィングを買い取って、ルーフを切断し、まるで300SLRのようなオープンのレーシングカーを作り上げたことにはじまる。もちろんこれはメルセデス・ベンツが正式に認めたSLSではないが、すでにその時点かあるいはその直後にメルセデスは正式に軽量化されたSL、即ちSLSをファクトリーからアメリカのとある人物に送っている。

その人物の名はポール・オシェイ。3度にわたりUSスポーツカーチャンピオンシップを勝ち取った人物である。1955年から300SLでSCCAのプロダクションスポーツカーカテゴリーで2年連続のチャンピオンに輝いていた。御存知の通りメルセデスは1955年のル・マンで悲惨な大事故を起こし、以後ワークス活動を停止していた。しかし、オシェイのアメリカでの活躍を知っていたメルセデスは、彼をシュトゥットガルトに招きその栄誉を称えるピンを授与したのである。そしてレース監督であったアルフレッド・ノイバウアー自らオシェイに手紙を書き、新たな車を用意している旨を伝えたのである。

メルセデスがオシェイのために作った300SLS。

レースでの活躍がアメリカ市場において販売促進につながることは、調査で明らかとなっており、ダイムラー役員会でもレースでの好成績がスポーツカーの190SLの販売を押し上げ、1955年の824台から56年にはそれが1691台に増加したことが報告されている。

その結果がノイバウアーの手紙となるのだが、1956年シーズンのオシェイの活躍はダイムラーの役員会に逐一報告されていたようである。そして1957年シーズに間に合うようメルセデスはオシェイのためにスペシャルなマシンを用意したのだ。2台作られたマシンはその年に発表された300SLロードスターがベースとなっていた。最初のモデルはロードスターのプロトタイプを完全に分解しオーバーホールを施し、徹底的に軽量化されたモデルだった。そして2台目はその知見から新たにゼロから作り出されたモデルであった。量産のロードスターが1330kgの車重を持っていたのに対し、オシェイ用に作られたモデルは何と360kgも軽い970㎏に仕上がっていたのだという。これがSLS即ちスーパーライトスポーツと呼ばれた所以である。

300SLSの傍らに立つドライバーのポール・オシェイ。

完成した2台のSLSは、まず4月初旬にホッケンハイムでテストされた後にニューヨークに船で送られた。アメリカで面倒を見たのはシュトゥットガルトのサービスエンジニアだったヴィクター・R・グロス。前年からダイムラーの役員にオシェイ活躍の情報をもたらしていたのも彼である。軽量化されたのはボディ/シャシーだけでなく、エンジンも鋳鉄ブロックからアルミブロックに変更されていた。ただし、こうした改造はそれまでオシェイが出場していたDプロダクションクラスでは参戦不可能であった。何故ならば、プロダクションクラスに出場するためには150台以上の生産が前提になっていたからである。そこで、彼らは照準をDモディファイドクラスに変更してこのSLSを走らせたのである。

アルミブロックのエンジンはノーマルの出力215psに対し、235psを引き出していた。そしてこのマシンを操ったポール・オシェイは見事その年のチャンピオンを獲得し、彼自身とメルセデスに3年連続のチャンピオンをもたらしたのである。

さて、この3台のSLSの名を冠したマシンのその後である。ロッソビアンコが保有していた車はチャック・ポーターが作り上げたモデルのようで、その外観もSLRを強く意識したデザインとされていることに加え、ガルウィングの特徴でもあるドアのラインがサイドシルの上側にあることで識別でき、ポール・オシェイのロードスターベースのSLSはドアのラインがぐっと下に下がっている。そしていわゆるポーター・スペシャルは2015年のグッドウッドのイベントにおいて、レジェンドドライバー、ヨッヘン・マスがドライブしたが、レース中のインシデントにより大クラッシュしてしまう。因みにこの当時この車を保有していたのはメルセデス・ベンツ・ミュージアムである。

ロッソビアンコのSLS。ドアの下側ラインがオシェイのいモデルとは異なりガルウィングベースであることがわかる。

残りの2台のポール・オシェイのマシンは、1台がシャシーナンバー 198.042.8500256であるが、残りの一台と共にその消息は分からず、誕生から60年後の2018年にそのレプリカがメルセデスの手によって作られている。因みにSLSのレプリカは相当な数が存在するようだ。


文:中村孝仁 写真:T. Etoh

中村孝仁

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