創業110年の歴史あるブランド、アストンマーティンとF1の関係を振り返る

Aston Martin F1 Team

2023年5月24日東京発、ホンダが2026年からアストンマーティンF1にパワーユニットを供給するというニュースが世界中を駆け巡った。

アストンマーティンは2021年に60年以上ぶりにF1に復帰し、2023年からチームに加わったアロンソ効果もあって、優勝こそまだないが、ポディウムに登るまでに実力を上げつつあり、初優勝はいつなのかと興味は尽きない。

2023年F1第7戦モナコGPではフェルナンド・アロンソ選手が2位表彰台を獲得した。(Aston Martin F1 Team)

1920年代からグランプリレースに出場し、多くの勝利を挙げてきたアストンマーティンだが、1950年からはじまる近代グラプリレース、すなわちF1グランプリレースでは、未だ1度の勝利もない。

F1参戦の検討がされたのは1953年秋のことで、新規製品開発とマーケティングの観点から、スポーツカープログラムが優先されたものの、F1計画には「DP155」というコードネームが付き、テスト用初号機のシャシー番号DP155-1が組立てられた。この時期のF1規定が2500cc以下であったことから、DP155-1に搭載されたエンジンは、すでにスポーツカーレースでの実績がある、DOHCの直列6気筒、DB3S用を縮小した2493cc(83×76mm)型であった。出力はアルコール燃料を使っても約180bhp程度に留まり、ライバルと目されるフェラーリ625やマセラティ250Fと比較して1割以上もアンダーパワーであった。これくをDB3Sをベースにシングルシーターに改造したシャシーに搭載。1956年初頭には豪州のレースにレグ・パーネルのドライブで試験的に参戦させた。

この時期には、新しいエンジンを備えた新しいロードカーの開発が佳境であり、1957年10月には、DB4として発売された。

このDB4と歩調を合わせるように、本戦用F1マシン、DBR4/250の開発がおこなわれ、1957年にはテストを開始した。DBR4/250は、スポーツカーのDBR1と共通の6気筒RB250エンジン(2493cc、ドライサンプ、256bhp)を鋼管スペースフレームに搭載。重量は575kgであった。

熟成されたDBR4/250は、1959年5月2日にシルバーストンでおこなわれたノンタイトル戦の、BRDCインターナショナル・トロフィーレースでデビューを果たした。ロイ・サルバドーリとキャロル・シェルビーの2台が出場。サルバドーリが予選3位、シェルビーが6位からスタートし、サルバドーリは2位に入賞、シェルビーはレース中にファステストラップを記録したものの、トラブルで6位に終わった。幸先がいいようにも見えたが、F1マシンはブラバムが先鞭を切ったミドエンジンの時代へと急速に舵をきりつつあり、フロントエンジンのDBR4では時代遅れなことは明らかだった。

1959年イギリスGPを走るキャロル・シェルビーのアストンマーティンDBR4。(Aston Martin)

改良型のDBR5もフロントエンジンであることに変わりはなく、アストンマーティンは1勝も果たすことなく1960年シーズンを終えると、F1から撤退していった。

それ以降、スポーツカーレースで活躍を見せる度に、アストンマーティン・ファンからはF1復帰の声が上がったが、復帰までには60年間もの歳月が必要であった。


文:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.)  Words: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)

文:伊東和彦 (Mobi-curators Labo.)

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