連載:アナログ時代のクルマたち|Vol.6 ローラT70

T. Etoh

ローラというレーシングカーは日本でも最もなじみの深いレーシングカーと言って過言ではない。最初に日本に姿を現したのは1967年の日本グランプリ。元々はオープンタイプのボディを纏った車だったが、レギュレーション上クーペスタイルに改造してレースに登場した。ロジャー・クラークことドン・ニコルスがドライブしたマシンは元メコムレーシングのマシンで、ジョージ・フォルマーやあのジャッキー・スチュワートもドライブしたマシン。もう1台の安田銀治のマシンはパーネリー・ジョーンズがセッティングに関与したとされるマシンである。

その後も翌1968年にはタキ・レーシングチームから2台のクーペボディが登場し、その後も数多くの日本のレースでローラの姿を見ることができた。一言でローラT70と言ってもマークⅠからマークⅢまで合計4種の変遷を経ており、このうちマークⅢは公式にクーペとスパイダーが生産された。一方マークⅠとマークⅡはスパイダーのみが正式には生産されたが、このうち何台かはクーペボディに変更されている。そしてマークⅢとは全く別物としてマークⅢBが生産された。さらに僅か4台ながらマークⅢBにはオープンボディが作られているが、これはクーペのマークⅢBとは異なるモデル。つまりローラT70には合計5種の異なる仕様があったというわけである。

因みに各シリーズの生産台数はマークⅠが15台。マークⅡが33台。マークⅢが同じく33台で、17台のオープンボディと14台のクーペが作られている。マークⅢBは16台のクーペが生産され、最後のマークⅢBオープンボディが4台で、合計101台である。とはいえ、元々オープンだったものをクーペにしたり、その逆もあるのは前述の通り。しかし、シャシーナンバーで追っていくと、実際に作られているのは107台。実はコンストラクターであるローラ自身がいわゆるコンティニュエーションモデルを5台1980年代に入って作っているし、スペアパーツからくみ上げられたモデルも複数台あるので、正確な生産台数は判らない。



生産開始はマークⅠが1965年。マークⅡは1966年。マークⅢは1967~68年にかけて。そしてマークⅢBは1969年である。4台のマークⅢBオープンは1967年に作られている。何故このマークⅢBオープンが実際のマークⅢBクーペよりも前に作られていたかは定かではないが、仕様の違いを見てみるとなんとなく理解できる。

最初に生まれたマーク1はスチールシャシーとアルミボディという構成。これに対してマークⅡはアルミをシャシー部材に加えて軽量化を図ったほか、ラジエターマウントなどを変更していたが、マーク1とそれほど大きくは変わっていなかった。因みに両モデルともにタイヤはフロントが8インチ、リアが10インチという設定である。マークⅢになるとその構造は大きく変わる。タイヤはより太いフロント9インチ、リア12インチとされ、シャシーのストラクチャもサスペンションもブレーキも過去の2台とは異なっていた。そしてこれがマークⅢBになると全く別物となり、ボルト一本に至るまでそれ以前のモデルと互換性がなかったといわれる。その理由はそれまでのマークⅢまでは基本モデルは5.7㍑のシボレーエンジン搭載を前提に製作されていたのだが、マークⅢBは1970年に発効したスポーツカーグループ5のレギュレーションに則った車両として設計され、搭載エンジンも5リッターエンジンを前提として作られていたからだ。



そして同じ名前を持つオープンバーションであるが、シャシーナンバーSL/122~SL/125までの4台だけが作られたモデル。シャシーにポートホールを開けて軽量化し、タイヤもフロントに10インチ、リアに14インチを装着していて、フロントにはアジャスタブルショックが装備されていた。1967年シーズンのCan-Amシリーズに出場し、122はダン・ガーニーがフォードエンジンを搭載して出場。123と125はジョン・サーティースがドライブ。そして124はマーク・ダナヒューがドライブした貴重なモデルである。つまり性能的には同じ年に生産が開始されたマークⅢBに匹敵していたことからそう名付けられたのではないだろうか。

シャシーナンバーはマークⅠにSL70/xx(xは通し番号)、マークⅡにSL71/xx、マークⅢはSL73/xxx、そしてマークⅢBはSL76xxxが与えられていた。

T70のサイドストーリーとして忘れてはならないのが、スティーブ・マックィーンが彼の夢をかなえて製作した映画、「栄光のルマン」である。マックィーンのソーラープロダクションは、なんと5台のローラT70を購入してこの映画の制作にあたった。そして劇中でマックィーンの乗るポルシェ917が大クラッシュをするのだが、このシーンに使われたのは実はローラT70であった。また同じくフェラーリ512がクラッシュし、ドライバーが大けがをするシーンがあるが、こちらもローラT70である。どちらもボディのみをフェラーリやポルシェに変えているが、中身はローラであって、撮影中はこれらのマシンがLorrariあるいはPorscholaと呼ばれていたそうである。

ソーラープロダクションが購入したローラは、シャシーナンバーSL76/140、SL76/141、SL76/145、SL76/149、そしてSL76/151の5台である。

ロッソビアンコ博物館にあったモデルは外観上はマークⅢBのそれである。そして博物館のコレクション解説書にもそう書いてあるのだが、年式が1968年とされていて、これはマークⅢ時代の年式である。また、エンジンはアメリカのディック・モソロが興したモソロ・パフォーマンスパーツ製の6.2リッターエンジンを搭載している。





残念ながらシャシーナンバーを撮影しておらず、果たしてどのような個体であるかは不明であるが、マークⅢBとしてはインテリアの作りがまるで違うことからして、いわゆるレプリカの可能性も否定できない。因みにローラT70のレプリカはスイスのコーチビルダー、スバッロをはじめとして複数のコーチビルダーが手掛けている。




文:中村孝仁 写真:T. Etoh

文:中村孝仁 写真:T. Etoh

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