パット・モスの優勝マシン、「世界で最も有名な」オースチン・ヒーレー3000がオークションに!

Bonhams

来る4月16日、グッドウッドにて「メンバーズ」と呼ばれるイベント開催期間中、ボナムズがオークションを併催する。なかでも注目なのは、“世界で最も有名”な「URX727」のナンバープレートを装着した、1960年式オースチン・ヒーレー3000マークIが出品されている。当該車両、1960年に開催された「ザ・マラソン・デ・ラ・ルート」(通称、ザ・ロード・マラソン)で優勝した車両である。

しかもイギリス車に乗った、イギリス人チームとして初優勝なだけでなく、女性ドライバーによる初勝利を飾ったマシンであった。ザ・マラソン・デ・ラ・ルートはヨーロッパで最も過酷なラリーと称され、1960年は96時間でドイツ、オーストリア、イタリア、ユーゴスラビア、約3500kmを横断するものだった。



オースチン・ヒーレー3000マークIのドライバーはパット・モス、コ・ドライバーは、アン・ウィズダムの2人組。“凄い女性ドライバーが居たもんだ”と思う読者が多いだろうが、“モス”という苗字にピンと来た読者もいらっしゃることだろう。



パット・モスはイギリスの元F1ドライバー、スターリング・モス卿の妹である。ちなみに父親も歯科医でレーサーだったモス一家、脈々と受け継がれたレーシングドライバーの“何か”があるように思えてならない。パットは弱冠11歳にして、スターリング・モス卿から運転を学んだ、と語り継がれている。恐らく、広い自宅の敷地内で運転していたのであろう。レーシングドライバーあるある、のひとつと言える。

もっともパットは乗馬選手として名を馳せ、馬術競技の一つであるショージャンプのイギリス代表チームの一員であった。そんなパット、自動車レースの世界に飛び込んだのは1953年、彼女が18歳の頃だった。当時の恋人でスターリング・モス卿のマネージャーでもあった、ケン・グレゴリーによる勧めがあってのことだった。しばらくは自費でレース参戦していたが5年後には、BMCのワークスドライバーになるまでに成長を遂げた。

7年間所属したBMCでは3度のチャンピオンシップを獲得し、同社にとっては貴重な宣伝効果がもたらされた。特に1960年のザ・マラソン・デ・ラ・ルートでの優勝は性別を問わず偉業であり、“チーム・イギリス”を謳える効果もあった。

パットとアンのチームは、レース中盤でトランスミッションの損傷に見舞われたものの、この過酷なレースを完走したわずか13チームのうちの1つだった。そして、BMCにとってはワン・ツー・スリー・フィニッシュがワークスのヒーレー、と大健闘。もちろん、パットにとっても、レーシングドライバーのキャリアにおけるマイルストーンであった。

なお、1960年、パットはこのオースチン・ヒーレー3000でチューリップ・ラリーで総合8位、クラス1位、アルペン・ラリーで総合2位、クラス1位を獲得し、レディース賞も受賞している。当然、ドライバー・オブ・ザ・イヤーも受賞した。



1961年、パットはこの相棒であったマシン、URX727(ナンバープレート)を500ポンドで手に入れたそうだ。その後の詳細は、今のところあまり明らかになっていないが、2007年に開催されたオースチン・ヒーリーのイベントでパット&アンはURX727と再会。フルレストアされたURX727は、同イベントにおいて「ベストカー賞」を受賞し、後のシルバーストーンで開催されたイベントにて両者がルーフにサインをした。





そんな華々しいヒストリーを持つURX727がオークションに出品されるとあって、クラシックカー界隈はちょっと賑わいを見せている。しかも、オークション開催場所は“血中ブリティッシュ濃度”が高めなグッドウッド。参考までにボナムズによる予想落札価格は、35万~45万ポンドと見積もられている。オースチン・ヒーレー3000マークIの一般的な相場の3倍以上が見積もられているが…、もっと“跳ね”るのではないか、と興味津々だ。




文:古賀貴司(自動車王国) Words: Takashi KOGA (carkingdom) Images: Bonhams

古賀貴司(自動車王国)

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