フェラーリ黄金時代にシューマッハが駆った伝説のF1マシンが超高額で落札!

RM Sotheby's

フェラーリのモーターレースにおける歴史は長く、1950年のF1発足当初から世界選手権に参戦している。1996年、ベネトンで2度のワールドチャンピオンに輝いたドイツ人天才ドライバー、ミハエル・シューマッハを獲得したスクーデリアは、彼を中心にロス・ブラウン、ロリー・バーン、パオロ・マルティネッリといったエンジニアリングの才能を持つスーパーチームをジャン・トッドのもとで結成したのであった。その結果、フェラーリとシューマッハは、ひとたび本領を発揮すれば、まさに「止められない」存在となった。

2000年から5年連続でドライバーズチャンピオン、コンストラクターズチャンピオンを獲得し、ライバルであるマクラーレンを圧倒。2002年は、6戦を残して7月のフランスGPでシューマッハがドライバーズタイトルを獲得するほどの勢いだった。しかし、そのまま翌年も順調にとはいかなかった。



フェラーリは2003年になると、旧型のF2002をアップデートしてシーズンに臨んだが、開幕から4戦でシューマッハはわずか1勝しかできなかった。1月に亡くなったフィアットの故ジャンニ・アニエリのイニシャルを冠したF2003-GAを発表したのは、第5戦スペインGPからだった。先代よりもロングホイールベース化され、タイトル争いのライバルであるウィリアムズのショートホイールベース車とはまったく異なるエアロダイナミクスのパッケージングが可能となった。3リッターV型10気筒エンジンは、19,000rpmという驚異的な回転数を誇る845psのスペシャル・エンジンであり、全長をわずかに伸ばしたティーポ052型が搭載された。



F2003-GAでは、予選でフロントタイヤのオーバーヒートを防ぐためにウェイトバイアスをリアに、決勝ではリアの摩耗を抑えるためにウェイトバイアスをフロントに配置して、ブリヂストン製のタイヤにおけるセットアップの最適化が試みられた。しかし、シーズン終盤のルール変更で、予選と決勝の間の給油が禁止され、パルクフェルメ(予選終了時の状態でレースをスタートすること)が課されることになった。これは、フェラーリを追い詰める可能性を秘めた措置だった。

それでも、シューマッハは5月4日のスペインGPでポールポジションを獲得し、チームメイトのルーベンス・バリチェロと並んでF2003-GAのレースデビューを果たした。レースが始まると、フェルナンド・アロンソのルノーがフェラーリ勢を引き離し、第1コーナーでシューマッハに襲いかかった。しかし、アロンソが執拗に追いかけてきたにもかかわらず、シューマッハは耐え抜き、勝利を手にした。



次のオーストリアGPでは、シューマッハが再びポールポジションと勝利を獲得し、彼がステアリングを握るシャシー229は完璧なスタートを維持した。今回は給油中に火災が発生し、マクラーレンのキミ・ライコネンがエンジントラブル、ウィリアムズのファン-パブロ・モントーヤがリタイアというアクシデントに見舞われたが、シューマッハはそれを乗り越え、再びポールポジションを獲得。

しかしその後、シューマッハはモナコでは予選5番手で、序盤はヤルノ・トゥルーリの後方につけていた。ところが他のチームとは異なる戦略が功を奏し、3位に浮上すると、優勝したモントーヤと2位のライコネンのすぐ後ろにつけてゴールし、F1で最も伝説的なコースでシャシー229の表彰台フィニッシュを達成した。

BMWエンジンを搭載したウィリアムズ勢がフロントロウを独占したカナダGPだったが、レースペースはシューマッハが上回り、シャシー229は再び勝利を手にする。しかし、ニュルブルクリンクで行われたヨーロッパGPではコロンビア人ドライバーと絡んで5位にとどまる。その後、フランスGPで3位入賞を果たした。

イギリス、ドイツ、ハンガリーでは別のF2003-GA(シャシー231)に乗り、フェラーリの本拠地モンツァで229に戻したときには、モントーヤに1ポイント差でチャンピオンシップをリードしている。フェラーリはコンストラクターズでもウィリアムズを引き離していたが、シューマッハは完璧なドライビングと戦略でポールポジション、ファステストラップ、そしてレース本番では熱狂的なファンたちも文句なしの決定的な勝利を手にした。



そして、インディアナポリスで行われたアメリカGPでも、7番グリッドから優勝を果たし、タイトルを手にした。最終戦日本GPでは、ライコネンにタイトルを奪取される可能性もあったが、シューマッハはぎりぎりのところで持ちこたえた。予選はダンプコンディションで14番手、決勝は本人も「雑なレース」と言っていたが、8位でゴールし、ポイントを獲得。レースはバリチェロが優勝し、ライコネンは2位で終わったため、シューマッハは2ポイント差でワールドチャンピオンに輝いた。

229号車は、6台製造されたF2003-GAの中で最も成功したマシンであり、シューマッハ時代のF1シャシーで世界選手権優勝シーズンに5勝以上を挙げたわずか4台のうちの1台である。シューマッハは、モントーヤやライコネンといった若手の挑戦を退けながら、9戦5勝を挙げた。フェラーリ・クラシケの「レッドブック」認定を受け、マラネロ工場で2022年にオーバーホールを受けたシャシー229は、スクーデリアの黄金期を代表する歴史的なマシンとして広く知られている。伝説の3リッターV型10気筒エンジンの走行距離はわずか148マイル、ギアボックス、クラッチ、油圧システムを含むすべての主要コンポーネントの残存についても、フェラーリから提供され保管されているデータシートに記録されている。



シャシー229は、ミハエル・シューマッハの6度目のタイトル獲得に大きく貢献し、5度の世界チャンピオンであるファン・マヌエル・ファンジオの記録を更新しただけでなく、フェラーリの13度目のコンストラクターズチャンピオン獲得にも最も貢献したシャシーである。スクーデリア・フェラーリのグランプリカーを所有することは、どの世代においても稀有で貴重な特権であり、チームが最も輝いていた時代に最も成功したプランシングホース・バッジのF1マシンを購入するチャンスは、まさに一生に一度の機会と言えるだろう。



しかしその非常に幸運な一枠は、既に埋まってしまったようだ。2022年11月にスイスで開催されたRMサザビーズの「Luxury Week sale」オークションにおいて、14,630,000 CHF(約21億円)という非常に高額な価格で落札された。ガレージにひっそりと眠るのか、どこかのミュージアムで展示されるのか、はたまた果敢にもサーキットのアスファルトを再び踏むことになるのか。落札したオーナーにしか分からないことだが、またあの刺激的なV10サウンドを聴いてみたいと思うのは私だけではないだろう。

オクタン日本版編集部

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