いよいよ明日、富士モータースポーツミュージアムがオープン!

Gensho HAGA, Yoshimi YASUOKA



トヨタとモータースポーツ


自動車業界は100年に1度の危機であるという意識です。危機は、見方を変えればチャンスであるともいわれるものの、サーキットからエンジン音がなくなるという声さえあるなかで、異なるベクトルの車好きを育てないと、自動車業界はコモディティ化(高付加価値の商品が一般商品化すること)するのではないかという意識は自動車業界に共通しています。モータースポーツへの興味は、車に対する情熱や愛着の集大成であり、象徴であると思います。モータースポーツが人気を維持することと、自動車業界や自動車文化が盛り上がることはイコールではないけれど、そこには深い相関関係があります。そこで、この富士という土地をモータースポーツのメッカとすることによって、すべてのメーカーの協力によって波紋を広げていきたい。そんな想いが、富士モータースポーツフォレストの構想につながっているのです。それをけん引されているのがこのプロジェクトオーナーのモリゾウさんなのです。

厳密には富士スピードウェイの敷地内に富士スピードウェイホテルおよび富士モータースポーツミュージアムの建屋はある。富士スピードウェイほどの素晴らしい国際規格のサーキットに、このような充実した宿泊&エンターテインメント施設が併設されることで、楽しみの幅が広がっていくことは間違いない。

FMMにはコンセプトに関わる特徴的なコーナーを作りました。量産車メーカーの創業者がどういう思いでモータースポーツに関わってきたかを語れば、コンセプトのバックボーンになるのではないかと思い立ったのです。日本では本田宗一郎氏が、二輪の頃からレースと一体となった量産車を作ってこられました。フェルディナント・ポルシェ氏、ヘンリー・フォード氏も、実はレースから始められたという歴史があります。

そして我々にとっても意外だったのは、これまで社史にもレースに関する記述がほとんどなかったトヨタの創業者の豊田喜一郎に、モータースポーツとの関わりがあったことです。それがトヨペット・レーサーです。戦後の復興期の1949年から1950年にかけて、ドッジラインによって、日本は深刻な不況に陥りました。大規模なストライキが起こり、トヨタ史上初めての人員整理に追い込まれ、社長の喜一郎も引責辞任するという、まさに会社の存続が危ぶまれるような時期でした。そんな中にあって特別な想いで創られたのがトヨペット・レーサーでした。社内での開発が困難な状況下において、トヨペット・レーサーはトヨタ販売店協会が製作するという体勢が取られました。販売店向けの冊子に喜一郎が亡くなる直前のレースの必要性を説く寄稿があり、背景には戦中戦後の乗用車製造中断で立ち遅れた技術の挽回に、レースという場が有効だという強い想いがありました。

この史実を知った私はぜひトヨペット・レーサーのレプリカを展示できないかと考えましたが、簡単なことではありません。試作部長などいろいろな人に相談した結果、社内で我をと思わん者を募ってやらせよう、できない部分は試作部のベテランが手伝うよということになり、20人ほどの若者たちが手を挙げてくれました。レストア技能は未熟でしたが、やる気がある若者が集まってくれたおかげで、ほぼ当時と同じと言える車を作り上げ展示することができました。



このミュージアムは、自動車史を語る意味でもとてもポテンシャルが高い施設だと思います。世界の自動車ミュージアムに足を運びましたが、その多くは個人のコレクションがベースにあり、有名レースの優勝車など、ヒーローが中心になっています。しかし我々は、レースでは勝てなかったけれどメーカーにとってはとても意味があった、というものも大切にしたい。むしろ、そういう要素のほうがミュージアムには重要だと思っています。

今回、FMMの冒頭に1898年形のパナールエルヴァッソールを展示していますが、これは世界で初めて自動車レースが行われた頃の黎明期の車両です。この車はたった1年違いの前年モデルから多くの改良がおこなわれており、これにはレース参戦の影響があったと考えています。例えばリアの片側一輪駆動だったものが、両輪駆動になり、さらに気筒数が増えて高出力になった一方で、冷やしきれないからラジエーターがフロントに置かれ現在のFRの原型となっているのです。ハンドルも、1897年型はティラーハンドル(梶棒形)ですが、1898年型はもう丸いハンドル。まさに日進月歩で改良されていたわけです。



必ずしもこの頃の車はみんなそうだったわけではありません。レースで競い合う中で、驚異的な進化につながったのではないかと考えています。



トヨタ製の展示車両は全体の半分もない。「モータースポーツこそが自動車を鍛えてきた」。その考えのもと、自動車競技黎明期から発展期の間、それぞれの時代を代表する競技車両を選出している点がユニークだ。必ずしもレースで優勝した記録的車両ばかりではなく、自動車開発に寄与したであろう名車を集めてきた。これは国内外の多くの自動車メーカーや自動車博物館との交流の賜物であり、中には期間限定で入れ替わる車両があることを意味している。

たった40台のミュージアムですが、130年前のはじまりと130年後のいまは起承転結で結びついていて、その間にさまざまなカテゴリーのレースが生まれたという、一つの物語だと我々は捉えています。

オクタン日本版編集部

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