ヴィンテージカー業界きっての敏腕PR担当者、ピーター・ヘインズが愛する品10選

Octane UK

イギリス版『Octane』の好評連載「GEARBOX」は、自動車業界で活躍する人々にお気に入りの品を紹介してもらう企画だ。元ジャーナリストでヴィンテージカーに関する熱血広報の第一人者、そして現在はRMサザビーズのマーケティングディレクターを務めるピーター・ヘインズは、熱烈なヒストリックレーサーでもある。



1)13歳の時、地域の短距離走の決勝で優勝しました。その時、両親がこの彫刻入りのホイヤー製のストップウォッチを買ってくれました。このネックストラップは靴のひもで、1983年に母が付けてくれたものです。もう母は亡くなりましたが、この時計は私にとってとても大切なものです。


2)デニス・ジェンキンソンとは、家族ぐるみの友人でした。車に関しては、私の教育係だったと言っても過言ではありません。彼の言葉には常に説得力があり、どんな会話でも退屈することはありませんでした。


3)1980年には、ブランズ・ハッチで行われたスターリング・モス氏のトリビュートイベントのパレードに、私たちのBMW 328が参加することになりました。私はそこで、ファンジオ、イネス・アイルランド、ロイ・サルバドリ、ロブ・ウォーカーなどからサインをもらいました。でもそれらよりも何よりも、モス氏自身がイベントの前後共に私たちに個人的に手紙をくれたことが、一番嬉しい出来事でした。彼こそ、本物の紳士と言えるでしょう。


4)私の名前は、会ったこともない父の兄弟の名前にちなんでいます。彼は英国海兵隊に入隊し、訓練後キプロスに赴任しましたが、3日後に射殺されてしまいました。私が彼の物で持っているのは、軍隊の収納箱と、これだけです。『二人のピーターの日記』。彼の友人であるピーター・コルヴィルがセーヌ川遠征のために行った、カヌーの練習について書いたものです。それは、残された私の祖父母のもとに届けられました。


5)1990年代に私がケーターハムでレースに参加していた頃、スケーレックストリック社がセットを出してくれたのです。ケーターハム社ではマーケティング部門にも在籍していたもので、つい自分の車をお願いしてしまいました。 その後『Autocar』誌で働いていた時に、ニュルブルクリンクのそばの模型店で、あのコリン・グッドウィンが「ヘインズ、君のモデルカーがあるよ!」とデカい声で教えてくれました。それは確かに私のモデルカーで、即購入したことは言うまでもありません。


6)私はずっとバイクをカスタマイズしてみたかったので、CB550を買いました。真っ白なキャンバスとも言えるその単車の問題点は、カラーリングをなかなか決められないことです。色を選ぶのに、半年もかけてしまいました。結局、スクランブラーかつストリート・トラッカーなスタイルに決めました。このバイクを手放すことは一生ないでしょう。


7)2002年にケーターハムはニュルブルクリンク24時間耐久レースにワークス参戦し、今では『トップギア』でおなじみのクリス・ハリスと私を含む、4人のドライバーによるチームで挑みました。私たちは総合で11位に入賞し、クラス優勝も果たしました。イギリスのローラースケート軍団のような私達の活躍は、オーガナイザー達には面白くなかったようです。


8)14歳くらいの頃に父がオースチン・セブンの部品を山ほどくれました。そして「もしお前が組み立てられるなら、持っていていいぞ」と言ってくれました。それ以来、私の人生はほぼずっとセブンと共にありました。この”チャミー”は10年前から持っていて、ロックダウンの間にはプロジェクトとして分解したりもしました。


9)私がモータースポーツに熱中するようになったのは、このレイモンド・メイズの本とERAに夢中になったことのおかげです。私が初めてボーンに行けたのは、14歳の時にでした。


10)父のトニーは60年代初頭に、A. F. P. フェーン氏が所有していたというBMW328を購入し、その車で10年間もレースに出場していました。2004年に「マドウィック・カップ」に招待されて、この車と共に過ごした40年間で初めて私が自分で運転したのです。何とも感無量でした。

オクタン日本版編集部

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