人気TVドラマに登場後、行方不明だったマーコス|発見されて新たな命が宿る

Photography:Jonathan Fleetwood

TVドラマ『The Saint(邦題:セイント 天国野郎)』に出演したロジャー・ムーアのおかげで、ボルボの知名度が急上昇したことは間違いない。しかし、人々に強烈な印象を残したという意味では、1969年に登場したこのマーコスも負けていない。しかも、いま再び注目を集めているというのだから、実に面白いではないか。



トリビアというには、いささか簡単すぎる問題かもしれない。「TVドラマのセイントに登場した車はなにか?」

主演のロジャー・ムーアがボルボP1800を操っていたことは、いまさらいうまでもない。では、続編にあたる『テンプラーの華麗な冒険』でイアン・オギルビーの愛車となったのは?こちらはジャガーXJ-Sが正解である。いっぽう、ここでマーコス1600GTの名を思い出した貴方は、相当の“セイント・マニア”であるに違いない。

TVドラマのなかのクルマ事情


レスリー・チャータリスの描いた原作が最初にイギリスでTVドラマ化されたのは1962年10月のことだった。あからさまに“俗受け”を狙った番組で、主役を務めたのは、驚くほど物腰が柔らかいロジャー・ムーアだった。映像面では決して丁寧な作品とはいえず、筋書きにもいささか無理があったものの、主人公が操る目映いばかりのボルボと、彼の頭上に合成で映し出されたヘイロ(天使の輪)の効果で、大変なヒット作となった。

いまと比べれば1960年代は何ごとにもおおらかで、主人公の風貌やクールで自信に満ちた雰囲気に比べれば、そのほかのことは大した問題とはならなかったようである。そして1969年2月に放映された最終回をもって、全6シーズンからなるセイントは幕を閉じることとなった。

この頃になるとアメリカでの人気のおかげで予算が潤沢になり、番組はカラーで制作されるようになっていた。最終回の『ザ・ワールド・ビーター』では、ジョージ・ハップグッドなる人物が開発した最新型のスポーツカーが登場。ムーア演じるサイモン・テンプラーは、もともと神出鬼没の大怪盗だが、ドライバーとしての腕前も超一流という設定で、この車で24時間ラリーに出場することを打診される。ラリーで成功を収め、地元の大物エンジニアとして知られるレイカー氏の支援を取り付ける目論見だったのだ。ちなみに、ここでレイカー氏を演じたのは名優のジョージ・A・クーパーである。

番組は、マーコスのヘッドライトを大写しにした映像から始まる。ここでムーアの声で、次のようなナレーションが入る。「ラリーカーのドライビングには、運転のスキルを試すという以上の意味がある。それは極めて官能的な行為で、車とドライバーが協力してパワー、スピード、そして満足を得るためのものだ」と、1960年代には、車を官能的に表現することがまだ許されていたようだ。



テンプラーは車に乗り込むとヘルメットを被り、テストドライブを始める。その様子は、ファクトリーで待つハップグッドらに無線を通じて報告されていた。ところが、ライバル陣営がステアリングに細工をしていたことから、マーコスは立木にクラッシュ。これを知ったハップグッドは、自分のジェンセンFFにレイカーを乗せると、急ぎ事故現場に向かうのだが、そこでレイカーは「アクシデントの原因はサイモン・テンプラーの焦りにあったようだ」との見方を表明する。これをきっかけにして、テンプラーの頭上に例のヘイロが現れると、「タータッタ、タッタタッタター」という例のメロディーが流れ始めるのである。

このエピソードのなかで、マーコスのロゴやモデル名が明かされることはない。ただし、その後で車が少しだけ画面に登場するが、立てかけたボンネットでダメージを受けた部分が見えない絶妙のカメラアングルが用いられる。やがてストーリーは、いつもどおりのナンセンスな展開へと変わっていくのだが、続いて登場するのは、同じイギリスの少量生産スポーツカーブランドであるTVRのヴィクセンだ。こちらはマーコスよりはっきりとその姿が捉えられているものの、劇中ではジョージ・ハップグッドの従兄弟であるジャスティン・プリチャードの作品で、センチネルという架空のモデル名で呼ばれている。プリチャードとハップグッドはライバル関係にあるという設定なのだ。

世界的な認知度ならびに売り上げという面でいうと、ロジャー・ムーアが出演したこの番組は、当時、アベンジャーズに続く2位の地位にあったというのだから驚く。さらに信じられないことに、劇中で登場したマーコスは一時行方不明になっていたものの、先ごろ発見されて新たな生命を吹き込まれたという。

復活したマーコス


この物語の中心人物はロリー・マクマスだ。1960年代にマーコスでファクトリー・マネージャーを務めていた彼は、経営が立ち行かなくなっていた2001年に同社の設備を買い取ると、マーコス・ヘリテージを設立し、車両のメインテナンスやレストアを手がけるようになる。これにくわえて、ごく少量ながら新車のミニ・マーコスも引き続き生産している。 マクネスが振り返る。

「そもそもは、番組の製作会社が『ロジャー・ムーアが操る車としてマーコスを登場させたい』とジェム・マーシュ(マーコスの創業者のひとり)に依頼したことにありました。ところがジェムは、これに納得しなかった。すると彼らは、ボアハムウッドの近くに住むあるオーナーに掛け合うと、製作会社が費用を負担する形で“壊れたマーコス”を造り出し、番組に登場させたのです。まるでジェムを嘲笑するかのようにね。彼は本当にメディアが嫌いでした。試乗したジャーナリストにはいつも燃料代を請求していたくらいですよ(訳註:欧米では試乗車の燃料代を自動車メーカーが負担するのが一般的)」

「撮影が終わると、この車の消息はわからなくなりましたが、10年ほど前にレストアされているとの話を耳にしました。そのおよそ5年後、車をレストアしていた人物の息子から『父が亡くなったので、作業を引き継いでくれないか』との連絡を受けます。彼は、この車が番組に登場した車両そのものである可能性を承知していましたが、それがどれほどの意味を持っているかまでは理解していませんでした」

「マーコスのオーナーには、ロッド・スチュワートや、アメリカの映画監督兼俳優のサミュエル・ワナメイカーといった方々が名を連ねていますが、世界中で有名な番組でロジャー・ムーアがステアリングを握ったとなると、これはもう究極の1台というしかありません」

マクマス自身は、マーコスのコレクターでもあるマイケル・プールが訪ねてくるまで、この車のエンジンをかけたことさえなかったという。そんなマクマスに、プールは「セイントに登場したときとまったく同じ状態にマーコス・ヘリテージがレストアできるなら、この車を買いたい」と申し出た。

レストア作業はジェイムズ・マーシュが指揮した。

マクマスはこれを受け入れたが、ひとつだけ条件があった。1960年代半ばのマーコスに用いられていた樹脂製のダッシュボードが、マクマスは当時もいまも嫌いで仕方なかった。そこで、この部分をゴージャスな、ニレ材に変更することが、その唯一の条件だったのである。 ロリーの息子で、マーコスで過去15年間に勤務してきたジェイムズ・マクマスは、この18カ月間の大半を“セイントの車”のレストアに費やしてきた。

長身のジェム・マーシュにあわせて設計されたコクピットは広々としている。

ジェイムズがいう。「ほとんどの作業は終わりましたが、私たちは完璧に仕上げるつもりです。いちばん難しいのは、いつも決まってインテリアとサンルーフです。インテリアは、オリジナルと同じアンブラの407番を正確に再現した色合いに染める必要があります。シートの中央に用いられているバスケット織りの部分は、現在、ブラックしか手に入りませんが、ここも同じ色で染めなければいけません。標準品ではないフェンダーミラーは、当時、使われていたものと同じレス・レストン製の新品をeBayで見つけて使用しました。ブラックのレーシングストライプも、番組を参考にしながら正確に再現しています」

メカニズムについてはアップグレードが図られた。ロリーが説明する。「1969年当時よりも技術は進歩していますので、これまでに得た知識を活用しています。ダンパーの特性は基本的にオリジナルと同じですが、バルブは進化していますので、この部分はファインチューニングしています。これにあわせてリアのスプリングを少し固めるとともに、エンジンの排気量は1700ccに拡大し、2基のウェーバー“40”を組み合わせたほか、フロントブレーキはベンチレーテッド式に改めました」

ボアアップにより排気量を1700ccに拡大したフォード・エンジンには2基のウェバーが組み合わされる。

それ以外は基本的にスタンダードのままだが、エグゾースト・サウンドだけはCan-Amカー並みに迫力がある。イアン・ゴーハムと共同所有する1600に始まり、マンチュラ・スパイダー、1800GT、さらにはヒルクライム用の1600まで所有するマイケル・ポールはこう語った。「やると決めたら、徹底的におこないます。番組では、高性能なロード・ラリーカーという設定だったと思われるので、エグゾースト・サウンドもそれに相応しいものにしました」



ただし、ポールはセイントのマーコスを持ち続けられないことを、最初から承知していた。「これ以外にも3台のクラシックカーを所有しているので、このマーコスを手元に置いておくわけにはいきません。このプロジェクトに関わったのは、私がマーコスとブリティッシュ・エンジニアリングの熱烈なファンだからです。フランク・コスティンは、あのデ・ハビランドモスキート(第二次世界大戦中に活躍したイギリスの爆撃機)の開発にも関わった人物で、彼が造った木製シャシーに私は打ちのめされました。この車は正しくレストアし、再び公道を走れるようにすべき価値を備えています。したがって、そのレストアを支援できたことにこのうえない歓びを感じています。次は、この車の価値を理解できる方に受け継いでいただきたいと思っていますし、そうあるべきだと考えています」


・・・【後編】では、セイントのマーコスに編集部が試乗する。


編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI
Words:James Elliott Photography:Jonathan Fleetwood

編集翻訳:大谷達也

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