BMW M 50年のあゆみ|M’s GREATEST HITS

Mのはじまり

BMWモータースポーツ社は、1972年に元ポルシェのワークスドライバー、ヨッヘン・ニールパシュを代表とする35人の小さなチームによって設立された。当時BMWは、数十年にわたるモーターレースの経験をもとに、世界の舞台でより大きなプレーヤーとなるための計画を必要としていた。

最初のプロジェクトは、実験的な4バルブ・シリンダー・ヘッドを搭載した2002年式のラリーカーだったが、大きな話題を呼んだのは3.0 CSLであった。E9 3.0CSクーペという既存の製品を、サーキット走行用に開発したのだ。つまり、豪華なクーペから防音材を取り除き、より薄いスチールで構造を作り、アルミニウムのパネルを取り付けたのである。

インジェクションの3.0リッター直列6気筒はすぐに3.2リッターになり、1973年には過激な空力パッケージが公認され、「バットモービル」のニックネームが付けられた。ヨーロッパツーリングカー選手権で6勝、セブリング12時間レース(1975年)とデイトナ24時間レース(1976年)で総合優勝、ル・マン(1973、74、77年)で3度のクラス優勝を飾ったこの車は、バッジこそ付けられていないものの、まさにMのエッセンスが凝縮されている。

モータースポーツ部門は、さらに大きな計画を持っていた。M1が、グループ5のレースでポルシェに対抗するために、完全に一から開発されたのである。ボディとシャシーの製作にはランボルギーニが参加し、シャシーはダラーラの設計によるスペースフレームを使用した。しかし、ランボルギーニには、それを完成させるだけの能力がなかったために、グループ5への参戦の可能性はなくなってしまった。そこで、ニーアパッシュはグループ4に焦点を当て、1979年と1980年のF1選手権と並行して、ワンメイクのM1プロカー・シリーズを開催することにした。しかし、残念ながらM1がモータースポーツの世界で活躍することはなかった。

とはいえ、M1はロードカーとしては素晴らしい出来栄えだった。277bhpの直6エンジンは、レース用に開発されながらも、ロードカー用エンジンとしてもスムーズで魅力的なエンジンであり、この車は1993年に正式に設立されたM社の「永遠のレガシー」となったのである。



一方、その背後では、顧客向けに数多くのBMWサルーンの改良に追われていた。1974年当時でも、530とそれに続く533i、535iは高性能サルーンの市場が出現していることを証明しており、Mバッジを付けるにふさわしいホットロッドモデルの5シリーズも製作された。モータースポーツに特化したモデルではなかったが、1980年に発売されたE12型M535iは、M5の系譜の始まりとなるモデルである。LSD、ドッグレッグ・トランスミッション、3.5リッターM30直6エンジンなど、レースで活躍したCSLのエンジンを受け継ぐ仕様だ。1980年から81年にかけてM社のガルヒング工場でわずか1410台が手作業で製造され、初のサルーン型Mシリーズとなった。もっとも、熱心な愛好家たちは、1976年に南アフリカでレース仕様の530 MLEが最初に登場したサルーン型Mシリーズだと言うだろうが。

1980年代

M1は1980年までに消滅し、6シリーズクーペはレース由来のM88エンジンを搭載した初の本格的な市販車となった。286bhpのM635CSiは、サスペンション、ブレーキ、ホイール、エアロダイナミクスに手を加え、ポルシェを打ち負かすことを意図しており、ツーリングカーとして成功するための基礎となるものだった。



M535iを前菜とするならば、1984年のM5はメインディッシュである。M635 CSiと共通のエンジンを搭載し、ハードウェアにも同様の改良が加えられたが、サルーンというパッケージングにより、よりいっそう奇抜な印象を与えた。これは間違いなく世界初のスーパーサルーンであり、BMWのレンジ・トップ・カーの雛形となった車である。



しかし、さらに強力なヒーローが誕生することになる。この時点で、Mは独自のエンジンとシャシーの開発センターを持ち、モータースポーツでは、ニューモデルであるE30 M3の開発で重要な役割を果たした。BMW Mの目標はグループAのホモロゲーションであり、サーキットでのレースとラリーの両方に参戦する道を開くことだった。高回転型2.3リッター4気筒エンジンを主役に据え置き、このエンジンは市販車では200bhpを発揮したが、レース用マシンではさらに出力が増強された。M3の優れたシャシーは、サーキット走行でも優位性を発揮した。また、先鋭的なエアロダイナミクスも優れていることも優れた要因の一つであった。Mは車幅を広げ、リアウィンドウのワイパーを変更した。エボバージョンでは、2.5リッターエンジン、大径ホイール、強化ブレーキなどが追加され、M3は表彰台の頂点に立ち続けたのである。結果的に、2度のDTM選手権と2度の欧州ツーリングカー選手権を制覇し、1991年に引退した。



次に登場したのは、おそらくM5シリーズの中で最もルックスの良いモデル、エルコレ・スパーダがデザインした1988年型E34である。当初最高出力311bhpの3.6リッター直列6気筒を搭載していたこの新型M5は、BMWがスーパーサルーンの頂点に立ち続けるために、Mのレシピを改良したモデルで、当時のほとんどのスーパーカーに負けない身のこなしとバランスと性能を備え、さらに1992年にはツーリング・エステートのオプションで実用性も向上した。

1993年からは、335bhpの3.8リッターエンジンと、生産最終年の1995年には6速マニュアルトランスミッションがM5に搭載されるようになった。E34 Touringは、BMW Mが手作業で組み立てる最後のモデルであり、これ以降のモデルはBMWの主要な生産ラインで製造されることになる。

オクタン日本版編集部

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