栄光の「GT40」の名称を使えなかった意外な理由とは|フォードが生み出した最高の4モデル【後編】

Dean Smith

この記事は「『なんて車だ!運転すると陶酔感が押し寄せてくる』|フォードが生み出した最高の4モデル【前編】」の続きです。



2004年にカムバックしたフォードGT


ル・マン24時間での使命を果たしたGTだったが、やがてフォードのモデルレンジの中での優先順位は下がり、象徴的なスポーツカーとして「GT」の名前が再び登場したのは21世紀初頭のことだった。2004年にデビューしたフォードGTは1960年代の名車のリメイクであり、かつての栄光への賛辞でもあった。ではなぜ、「GT40」という名称を復活させなかったのであろう?

なんとフォードは「GT40」を商標登録しておらず、1985年にレプリカビルダーであるサフィールによって先に登録されてしまったのだ。2002年、デトロイト・モーターショーで「GT40」がお披露目された際、フォードはサフィール社にライセンス料を支払っていた。商標登録の移転を目指して両社の協議は続けられたが、4000万ドルの支払いを要求され交渉は決裂。単に「GT」として販売されることになった。

1960年代にはマーケティング戦略として、コルティナやマスタングに「GT」という名称を冠したこともあるのだが…。 いずれにせよ、フォード社内での開発コードネームは「GT40」で進められ、一般的にもGT40として広く認知されているが、正式名称は「GT」となった。余談だがGT40の「40」は初期型の車高が40インチだったことに由来している。2004年に登場した新型GTの車高は4インチ高かったので「GT44」という名称を用いることも検討されたという説もあるが真偽のほどはわからない。

新生GT40開発の正式名称「プロジェクト・ペチュニア」を率いていたのは、フォードの最高技術責任者、ニール・レスラーだった。ニールはあがってくるデザインを見てはやり直しを命じ、試行錯誤を繰り返した。フォードの100周年が迫るなか、やがて経営陣も納得できるデザインがあがってきた。2003年6月までに残された時間、15カ月で3台の生産仕様車を製作するというタスクには、“スカンクワークス”という俗称で呼ばれた少数精鋭のエンジニアによって全身全霊が注ぎ込まれた。

フォードの技術陣が直面した最大の課題のひとつは、“オリジナル”GT40のインスピレーションのなかに、現代のスーパーカー顧客が必要とするものをパッケージング化することだった。具体的にはエアコン、カーステレオ、電動パワーウィンドウなどの快適装備で、60年代には考慮する必要がなかった要素をどう詰め込むかであった。完成したGTは元のGT40よりも一回り大きくなったが、現代のスーパーカー顧客も60年代と比較すると、一回り大きくなっているので、好都合だったかもしれない。

新型モデルとなったGTはスタイルとレイアウトこそレトロだったが、最先端技術が盛り込まれていた。超形成されたアルミ合金のボディ、アルミ製スペースフレーム、最高出力550bhpを誇るスーパーチャージャー付きV8エンジン、6段マニュアルトランスミッションが奢られた。

スケジュール通り2003年に発表され、2004年秋には量産体制に入った。ヨーロッパ向けの101台(初期GTプロトタイプのシャシーナンバー101に合わせて)は2005年にデリバリーが開始され、フィリップ・ウォーカーも受け取ったひとりだった。なお、この企画に登場する4台の“GT”は、フィリップ・ウォーカーが所有しているが、この“2004年GT”が彼にとって最初に購入したGTであった。

2005年式 GTは現在の快適装備を搭載した、1965年式 GT40へのオマージュ。大排気量 V8エンジン、マニュアルトランスミッション、後輪駆動ではあるが、“現代版”はサーキット走行ではなく公道走行が念頭に置かれている。その点、オリジナルとは対極の立ち位置でもある。

フォードGTは屋根も一緒に開閉するようなラップオーバー・ドアを開ける瞬間から、特別な車であることを感じさせる。大きめなシートには初期モデルでも座面や背面に見られた通気口が設けられている。Aピラーまで回り込むようなフロントウィンドウだったり、ダッシュボード上にはブラシ・アルミのように見えて触れてみると、塗装されたプラスチックの感触がしてならなかったり、マッチョなアルミ削り出しシフトノブ.と、インテリアはGT40のレトロな雰囲気と2000年代のコンセプトカーらしさが融合している。

新生GTが搭載する5.4リッターエンジンは紛れもないV8サウンドを奏でるのだが、洗練度においては、マークIの4.7リッターV8スチールブロック・エンジンとは雲泥の差がある。マークIは排ガス規制に何ら縛られない轟音がこだまするのに対して、新生GTは静かにハミングしているかのようだ。さらにいえば、現代のマスタングが放つ伝統的なマッスルカー・サウンドよりも“控えめ”に感じられるほどだ。

新生GTの控えめぶりは、公道でも当てはまる。サーキットではなく、公道走行が前提ゆえに特にイギリスの田舎道では、容易にパフォーマンスをフルに引き出させてはくれない。運転していると2m近い車幅を常に意識させられるし、高速域では路面の変化をステアリングに伝えてきて、限界域に近づくとまるでステアリングがドライバーに知らせているかのようだ。

もっとも、スーパーカーのドライビングに際して、これは悪いことではない。ちなみに、このGTはル・マン24時間への参戦を念頭には置いていなかったものの、実際にはレースでも活躍した。2008年、スイスのプライベート・チーム、マテックがエントリーした3台が、FIAヨーロッパGT3選手権でアストンマーティン、シボレー、ランボルギーニ、マセラティ、そして.フェラーリを差し置いて優勝した。優勝を果たした満足感たるや、相当なものだったであろう。2010年、マテックはル・マン24時間に参戦するもGT1は2台がリタイヤ、そしてベルギーのマークVDSから1台エントリーしていたがリタイヤと不運に見舞われた。

GTはセンセーショナルなデビューを飾り、初期の頃は新車時価格の13万9995ドルを上回って取引された。その後、GT需要は急速に冷え込み、2007年に生産を終了したときは予定していた合計4500台を約500台下回った。それが現在では、最後のアナログなアメリカン・スーパーカーとして見直され、程度の良いものともなれば50万ドルほどでコレクターによって買われている。

編集翻訳:古賀貴司 (自動車王国)

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