倉庫で40年間放置されたフェラーリ750モンツァが、往年の輝きを見事に取り戻す

Evan Klein

トム・ペックが古いフェラーリを保管している家は、緑豊かな丘の中腹に建つ中世のトスカーナの別荘を再現したもので、カリフォルニア州オレンジ郡の一等地の不動産を見下ろすことができる。川の底の石のように滑らかで、ブラックサファイアのように艶やかなペックの750モンツァは、輸入モノのイタリアの石造りで造られた厩舎で、同じような1950年代のフェラーリ3台と一緒に暮らしている。エンツォ・フェラーリは本来レースという過酷な舞台で勝利するために作り上げたはずなのだが、このベテラン・カヴァリーノたちは正反対の甘やかされた生活を送っているのだ。

1月のとある朝、私たちはモンツァを西海岸の太陽の下に走らせた。ペックがスターターを踏むと、電気系統の音がした後、アウレリオ・ランプレディが設計したツインカム4気筒エンジンが噴き出す。搭載されているフェラーリの小さなV12エンジンから想像されるような、愛らしい鳴き声で朝を迎える…などということはなく、大口径の戦争兵器が、荒々しく、威勢よく、煙を上げて、猛々しい銃声を響かせながら発進する。このイタリアンマシンの恐ろしい騒音は、ペックの中庭の壁を跳ね回り、彼の隣人たちの丹念に手入れされた芝生の上にこぼれる。彼らはすぐに、地元の警察に苦情を入れるだろう。フェラーリのエンジンは一度止まり、何度か再始動しないと点かない。しかし、この車はアイドリングのために生まれてきたのではない、勝つために生まれてきたのだ。



1954年3月、マラネロのスクーデリアは、新設されたイモラ・サーキットで6月に開催される2.0リッターの車によるコンキリア・ドーロ・レースに参加するため、シャシーナンバー0428 MDを製作することに決めた。フェラーリの小型V12エンジンよりもはるかにシンプルでありながら、同等のパワーを発揮するランプレディ4気筒エンジンで挑むのが、イル・コメンダトーレの出した結論だったのである。

エンツォのレース道具のひとつとして存在したこの車は、マセラティとの壮絶な戦いという過酷な人生を送るために生まれてきた。もともとレースに出場したマシンは750モンツァではなく、より小排気量の500モンディアル(シャシーナンバーのMDはそのため)であり、車体色も黒ではなく、スクーデリアレッドであった。ファクトリーシューズのウンベルト・マリオーリが操る500は、イモラで優勝し、戦後のイタリア復興に貢献した。この年のイモラでの優勝とポルトガルでの勝利で、500モンディアルは絶頂期を迎えていた。

しかし、イモラからわずか1週間後、モンツァで車が炎上し、ドライバーのニーノ・ファリーナが大やけどを負い、20日間入院することになった。エンツォの部下たちは、カロッツェリア・スカリエッティから、修理と新しいボディワークの製作のために、焼け焦げたマシンをファクトリーに持ち帰った。そして1ヵ月後のポルトガルGPでは、ファクトリードライバーのホセ・フロイラン・ゴンサレスが勝利を収めたのである。ところがさらに3ヵ月後、北アイルランドのダンドロッドで開催されたツーリスト・トロフィー・レースで、ゴンザレスがコースアウトし、車を横転させてしまう。フロントエンドを一新し、大型のタイプ119 3.0リッターエンジンを搭載した500モンディアルは、750モンツァに生まれ変わった。しかし、エンツォはこのマシンでレースに出るのはもう限界だと判断し、プライベーターに売りに出したのである。

オクタン日本版編集部

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