地元警察官にも人気だった !? ダットサン240Z「Gノーズ」スーパーサムリに乗る

Reverend Pixel

この記事は「伝説のチューナーが作った、たった1台のダットサン240Z「Gノーズ」スーパーサムリ」の続きです。



公道で150MPHを警察官とともに


残念ながらダヴハウス・レーンにあったアンダーソンのショップはもうなく、宅地となっている。次に訪れたアンダーソンの行きつけはノーサンプトンシャー州で現在、RAF/USAFのクロートン空軍基地があることで最も知られた村である。移動の間、ポール・マッツがGノーズのステアリングを握っていたが、アンダーソンと比べると“ゆっくり”走っていたので車両の購入経緯について質問する時間があった。

「同僚と一緒にeBayで買ったんですよ!」と即答された。なんでも2006年に6500ポンドで購入し、後に同僚の“持ち分”を買い取って現在に至るという。

ホイールは当時のENKEIアルミを履いている。

「塗装はほぼオリジナルのままなので随所にひび割れや凹みがありますけど、そんな状態をかえって気に入っています。機械的な部分はアンダーソンがチューニングした状態が維持されていますが、何度かエンジンルーム火災を経験したので消火システムを追加しました。あと、デロルトのトランペットエアファンネル前部にコールドエアインテークボックスを装着しました」とマッツは続けた。現在、12万4000マイルを走破し、最近のシャシダイナモでは最高出力209bhp/5700rpm、最大トルク195lb/5500rpmを計測。アンダーソンいわく7000rpmまでは安全に回せるが、テスターがそこまでアクセルを踏み込むことを嫌がったそうだ。

私たちはクロートンに到着した。クロートンは、アンダーソンがベッドフォードシャーやハーベリーの仲間のショップで短期間、働いた後の1976年に移り住んだ町だ。クロートンにはアンダーソンのショップの痕跡は見つからなかったが、昔ながらの“何でも面倒見る”整備工場「ホーウェル・オート・サービシズ」の店主、ミックによると、アンダーソンのショップ跡地は今、生協の敷地になっているという。

実はクロートンは、私が『Octane』誌の旧オフィスへ通っていた頃の通り道だったので、アンダーソンの身の毛もよだつような逸話が残る“市街地コース”もよく知っている。東に向かうとクロートンの中心部を抜ける道があり、片側2車線のA43を横切るとA421となる。直線が3マイル続く道で…、平たく言うと飛ばせるのだ。

アンダーソンは自伝のなかで、FFAに乗りたがっていたクロートンの地元警察官とのエピソードを紹介している。
「乗りたそうにしていた彼をFFAの助手席に乗せて法定速度を厳守して走っていたら、こう言ったんです。“帽子を脱ぐから(警察官であることを忘れてくれ、という意味で)、この車の本当のポテンシャルを見せてくれ”」

アンダーソンはA421のストレートで気兼ねなく踏み込み150mphに到達したところで、アクセルペダルを緩めた。クロートンで警察官を下ろすと深く感謝し、パトカーに乗って帰ったという。

「翌日、面白かったのはこの警察官、パブに居る連中にダットサンの助手席で150mphを体験したこと言いふらしていたんです。その時、彼が私をスピード違反で検挙することはない、と悟りました。今じゃ、こんな警察官いないでしょうけどね」とアンダーソンは振り返っている。

シルバーストンまでGノーズを運転する


最後に立ち寄ったのは、1979年10月からスペインに渡った1993年までアンダーソンがショップを構えていた、シルバーストンだ。実はマッツ、26歳の時に初めて購入した240Zのヘッドガスケット交換でアンダーソンのショップを訪れていた。

マッツは私に運転してみるよう促してくれた。ただ、車高が低いうえにバケットシート、という組み合わせゆえにドライバーズシートに座るだけでも難儀した。まず左足を突っ込み、臀部をステアリングホイールとバケットシートの間に捻り入れ、右足を抱えこむように車内に収める。マッツいわく、座るというよりも寝そべる感覚だという。ひとたびドラバーズシートに収まれば、小さなドアミラーを含め視界は悪くない。

カウル付きメーター類がやる気にさせてくれる。

アクセルペダルを踏み込む以前に、ディープディッシュステアリングホイールやずらりと並ぶアナログな計器類を目の前にするだけで興奮してくる。直6エンジンは低回転域ではけだるく、タコメーターが4500rpmを過ぎたあたりから本領を発揮する。発進時にしっかりスロットルを煽ってやらないとエンストしそうな雰囲気すら漂う。そんなエンジンの特性さえ掴めんでやれば、強烈な加速を味わうことができる。特に6000rpmにかけて轟くエグゾーストノートにはうっとりさせられる。1973年にクライヴ・リチャードソンがFFAで記録した0→60mph/h加速7.0秒は、疑う余地がないと感じた。また、Gノーズは排気量2.8リッターのL28ブロックが用いられているので、もっと速くてもおかしくない。1973年の時点でアンダーソンは最高速140mphを謳っていたが、リチャードソンは150mphくらいが現実的だ、と指摘していた。

エンジンは2.8リッターブロックをリビルト。

ブラックリー周辺のA43はアンダーソンの時代とは変わり、片側二車線になった。私が信号待ちをしていると、後ろからサーブがやってきてドライバーがにこやかに親指を立てていたことをリアビューミラーで確認した。そこで私は信号が青に変わると“アンダーソン・モード”で発進することに。テールが若干沈み込ませ、図太いリアタイヤがしっかり路面を掻き毟りながら美しい直6サウンドを奏でた。

次のラウンドアバウトは、アンダーソンがほぼ全開でパトカーを抜き去った場所である。すぐに追尾するよう同僚警察官が告げたものの「無駄ですよ」ともう一人は言い放ったそうだ。そんなラウンドアバウトを駆け抜けると、正確な車の動きを感じ取ることができる。操舵の重さと反応が完璧なまでに調和されている。だから気持ちが良い。

気持ちが良い、と言いながらもバケットシートだけはしっくりこないが、Gノーズはロードカーとして実は穏やかで思いのほかダンピングが効いていて、乗り心地も悪くない。マッツによると荒れた路面だと轍にステアリングを取られることもあるようだが、片側二車線の整備されたアスファルトではそんなことを微塵も感じさせなかった。なお、5速マニュアルトランスミッションは、気を付けないとシフトミスしやすい、と記しておく。

シルバーストン・サーキットは、訪れたどの場所よりも変わってしまっている。アンダーソンがショップを構えていた建物(元弾薬庫)は第二次世界大戦中に建設されたもので、とっくの昔になくなっている。アンダーソンの軌跡を辿った今日の“巡礼”を終えるには、もっともふさわしい場所であろう。ここで彼はチューナーとしてのキャリアに終止符を打ったのだ。税務署に追われ、ショップの家賃も支払えなくなった後、アンダーソンはサムリをたたみ妻のクララとスペインに逃れた。

『Octane』誌による“巡礼”はシルバーストンで終わり、スパイク・アンダーソンのキャリアも税務署との度重なる争いから当地で終焉を迎えた。1993年からスペインに在住している。

アンダーソンは車と完全に縁を切ったわけではなく、スペインで1、2台のスペシャルカーを製作した。ただ引退後の彼の最大の関心事は生涯続けてきた金管楽器でのジャズ演奏で、コロナ禍による活動停止から再開させることにある。アンダーソンはこれまで大金を掴んだわけでもなく生活に困窮することもあったが、後悔はしていないという。そして、人生を振り返って笑顔になれれば十分、というのがというのがアンダーソンの人生観である。

「私の人生には笑顔になれる思い出だけではなく、大笑いできることがたくさんありました」


1972 Datsun 240Z
Super Samuri ‘Specification 3’

エンジン:2753cc直6、ワークス・ラリー・カムシャフト、ビッグバルブヘッド(改)、でロルト製40DCOEキャブレター3基、ビッグボア・エキゾーストマニフォールド、オイルクーラー
最高出力209bhp @ 5700rpm
最大トルク195lb ft @ 5500rpm
トランスミッション:5速MT、後輪駆動
ステアリング:ラック&ピニオン
サスペンション:マクファーソン・ストラット、強化コイルスプリング、ロアー・ウィッュボーン、フロント・アンチロールバー
ブレーキ:4ポット・ベンチレーテッド・ディスク
車両重量:1050kg
最高速度:150mph(推定)
0→60mph加速6.5秒(試乗車での推定)



編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation: Takashi KOGA (carkingdom)
Words: Mark Dixon Photography: Reverend Pixel Archive images: courtesy of Spike Anderson

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)

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