アウディの過去と未来【前編】|5気筒ターボとクワトロシステムの進化をたどる

Audi / Julia Schafer

かつてアウディは、四輪駆動と5気筒エンジンというユニークな選択肢を提供していた。名高いチュリニ峠を舞台に、その過去と未来をたどる。



「そうそう、あの音だ」と1984年世界ラリー選手権チャンピオンのスティグ・ブロンクビストは言った。今日は耐火スーツではなく、チェックのシャツにジーンズという出で立ちだ。ロイヤルホテル・サンレモの庭で、気泡が踊るグラスを前に会話を楽しんでいる。ブロンクビストは、ベルエポックの香り漂うこのエレガントなイタリアのホテルに何度か滞在したことがある。1984年のラリー・サンレモでもここを宿にした。ディナーの席へ案内されるまでの短い時間は、話を聞く貴重なチャンスだ。当然ながら、話題はアウディ・スポーツ・クワトロについてだ。ブロンクビストはそれをドライブしてサンレモで2位フィニッシュを飾り、その年のタイトル獲得を決めたのである。

あの5気筒エンジンは、明らかに強い印象を残したようだ。
「低く唸り、吠え猛る。そしてターボときたら…口笛どころじゃない、喘ぎだ。全輪駆動はまったく新しい感覚だった。あのパワーには最初から心酔したね。私はオリジナルのクワトロに強い結びつきを感じた」

6気筒のスムーズさとパワー、4気筒の経済性


数時間前に巻き戻そう。私がニース・コートダジュール空港に降り立つと、そこには真新しいアウディTTRSロードスターが待っていた。私に課せられた使命は、アルプスへと続くワインディングロードをたどり、オテル・レ・トロワ・ヴァレまで行くこと。目的は極上のランチではない。チュリニ峠という場所だ。途中の旅路がメインとはいえ、目的地にも重要な車が何台か私の到着を待っている。



リュセラムの村を抜けると、D21はヘアピンまたヘアピンだった。トルクを50:50に分配するダイナミックモードの機能は働きづめだ。この粋な2シーターのロードスターは、荒れた峠道も悠々とこなす。395bhp、2.5リッターの5気筒ターボは、あの特徴的な歌声を響かせながら、力強くぐいぐいと登っていくので、7速のパドルシフトがお飾りに感じられるくらいだ。

この車は、わずか3.7秒で60mphに達する。ルーフを開けて全開で駆け上がっても、髪はほとんど乱れない。かつてブロンクビストは、はるかに大変な仕事を強いられた。5気筒でターボ搭載、四輪駆動、コンパクトな2ドアボディと、レシピの各要素は同じだが、あれから40年近い歳月が流れたのだ。さて、レ・トロワ・ヴァレでプロバンス料理の前菜に舌鼓を打ったら、いよいよ今日のメインディッシュだ。4台のヒストリックカーをドライブして、アウディ5気筒エンジンの進化をたどるのである。

出口の手前にあるデザートのテーブルに目移りしないように、技術的な情報を簡単におさらいしておこう。「6気筒のスムーズさとパワー、4気筒の経済性」というのがアウディの謳い文句だった。直列4気筒エンジンは、180°回転するごとに燃焼行程が来るのに対し、5気筒なら144°に1回だ。また、4気筒では前の燃焼行程が終わってから次の燃焼行程が来るので、クランクシャフトの回転で生まれる上下への力を打ち消すものがない。直列6気筒なら5気筒よりさらにスムーズだが、5気筒のほうがコンパクトで可動パーツが少ない分、摩擦によるパワーロスも少ない。

コンパクトな点は重要だ。アウディは伝統的に、エンジンをフロントアクスルの前方に縦置きで搭載した。この形式は、現代アウディの出発点であるDKW時代にまでさかのぼる。当時は、コンパクトな2ストロークの3気筒エンジンだった。インゴルシュタット製の自然吸気5気筒エンジンがデビューしたのは、C2系のアウディ100である。ベースとなったのは、ゴルフGTIや様々なアウディに搭載された既存の4気筒EA827エンジンだ。

1981年式アウディ200 5T


復習はこのくらいにしておこう。デザートの危機は去った。目の前に佇むのは、当時の最上位グレードだったアウディ 2005Tの1981年式だ。発売は1979年で、2144ccの5気筒ターボを開発し、168bhpを発生した。C2系は、長く低い直線的なボディワークを特徴とする。対して、後継のC3系は大幅に空力重視となり、「Vorsprung durch Technik(技術による先進)」という当時のアウディのキャッチフレーズを体現していた。言うまでもなく5気筒ターボとクワトロシステムも進歩的だ。



車内はプラスチックがやや目に付くものの、すっきりとしたデザインだ。厚みのある滑らかなチェック柄のベロアが、シート、ドア、ヘッドライニングを覆う。このファブリックは、特徴的なフープ型のヘッドレスト(デザインしたのは、のちにケン・グリーンリーとともにベントレー・コンチネンタルRをデザインしたジョン・ヘファーナン)も覆っており、2個のクッションまである。



エンジンは控えめに点火した。オフビートを刻むパーカッションのようなサウンドは、いかにもエキゾチックだ。この200は3段ATとの組み合わせだが、私はすぐにTバーを使って2速にホールドすることを覚えた。スムーズになるようブリッピングしながら、ときおり1速に落として、ツイスティーな坂道を抜けていく。

チュリニ峠は、全長4.7mの前輪駆動サルーンにうってつけの場所とはいえない。それでも、乗り心地は安定しており、振動をよく吸収して、洗練された印象だ。無様なところを見せるどころか、トルクとエンジン特性が、実際の排気量以上の風格を与えている。実に好感の持てるクルーザーだ。個性にあふれ、4気筒のサーブ900ターボ(同じく1979年発売)や、BMWの5シリーズ6気筒モデルといった優れたライバルにも対抗できる。

オリジナル・“クワトロ”


さて、次はいよいよレジェンドの登場である。アウディ・クワトロに紹介は不要だろう。クーペボディに、“クワトロ”と呼ばれる四輪駆動システム、ターボ搭載の5気筒エンジン。今回乗るのは1988年式で、排気量2226cc、出力197bhpだ。クワトロは1980年に登場すると、すぐにラリーのホモロゲーションを取得した。ブロンクビストは、スウェーデン以外でのWRC初優勝をクワトロで飾っている。ここから国境を越えてすぐのイタリアでおこなわれた1982年のラリー・サンレモだ。そのあとアウディとワークスドライバー契約を結んだ。

究極仕様のスポーツ・クワトロともなると、5気筒ターボは炎とともに450bhpを叩き出した。グループBはアウディの独壇場と化し、ターボと四輪駆動のコンセプトを取り入れて追走するライバルを尻目に、クワトロはトップの座を譲らなかった。いうまでもなく、すべては1986年に悲劇的な終焉を迎えたが、競技でのハイライトはその後にもあった。1987年には、ワルター・ロールが590bhpのアウディ・スポーツ・クワトロS1でパイクスピーク・ヒルクライムを制覇。また、90クワトロIMSAGTOは、同じ2.2リッターで720bhpを発生し、アメリカのツーリングカーによるレースシーンで活躍した。



この道ではクワトロは、まさに水を得た魚のごとしで、優れたバランスとグリップ、抜群のハンドリングを見せる。コーナーでもほとんどロールせず、するときも滑らかで洗練された印象だ。そして、何といってもあの歌声である。パヴァロッティのように個性的で声量豊かだ。クランクが2回転するたびに発生する5個の波動がメジャーコードを奏で、ギターのスライド奏法のように高まっていく。アウディを定義する車があるとしたら、これ以外にない。



しかし当時は、どこか古くさい印象もあった。足回りの硬いプラットフォームは、1972年に登場したB1系アウディ80から引き継いでいた。また、水平と垂直のラインで構成されたスタイリングも、今でこそアイコンとなったが、ストリームライン全盛の時代には異色だった。その時代をもたらしたのは、1982年のC3系アウディ100だったのだが。

S2クワトロ


次に試すのはアウディS2だ。1990年代初頭に台頭した高級クーペにクワトロを生まれ変わらせたモデルである。アウディのスポーツモデルであるSシリーズはここから始まり、以来、全世代の柱となった。車名は、ラリーモデルのS1に続けたもの。S2も、アウディの四輪駆動システムを搭載する“quattro”だ(インゴルシュタットは小文字を使うが、私は文法的にどうにも馴染めない)。しかし、その頃までにはどのアウディにもクワトロバージョンが出ていたから、このポルシェ968の対抗馬には新しい名前が必要だったのである。

S2は明らかに先代より滑らかな形状だ。この空力的な洗練性と高級感は、B4系の80から登場したもので、アウディはインテリアの上質な雰囲気を名刺代わりにしていた。だが、同様に決定的な特徴となったのが、優れたドライビングカーとはいえないことだ。グリップはたっぷりあるし、ロールも少ないが、少々緩慢で鈍く感じられる。それまでの世代の活きのよさがないのである。車重は1290kgでほとんど変わらず、20バルブのシリンダーヘッドによって出力も217bhpなのだが。



これは、高級志向が強すぎたのかもしれない。あとで登場したRS2のほうが、この時代の代表にはふさわしいだろう。高性能スペシャルとして開発され、ポルシェがハンドビルドしたモデルで、5気筒ターボが311bhpを発生する。エステートワゴンとしては常識外れの出力だ。ここから、極めてパワフルなワゴンの人気が高まった。その魅力はRSの名と共に今日に至るまで引き継がれ、今も重要なモデルとしてアウディのカタログを彩っている。

続いて1994年にアウディA4(B5系)が登場し、従来の直列5気筒より短い新V6のラインアップを完成させ、5気筒は廃止された。この時代の最後の5気筒エンジンは、アウディS6の2.3ターボで、これも1997年に姿を消した。

【後編】に続く


編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵 Translation:Megumi KINOSHITA
Words:Glen Waddington Photography:Audi / Julia Schafer

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵

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