モナコヒストリックグランプリで、往年の名マシンが真剣勝負!

Kozo FUJIWARA

天候に恵まれ5月13日~15日におこなわれた第13回モナコヒストリックグランプリ。モナコといえばカジノ、ホテル、ダンスホール、カクテル、スパ、リゾート、タバコ、葉巻… 各レースにモナコの時代を感じ取ることができた。



今年の第13回モナコヒストリックグランプリは2021年の第12回イベントに比べると参加台数は概ね回復、観客動員数は5割回復している。今回、驚かされたのは前回訪れた2018年と比べ、都市開発による街並みの変化や道路網の充実であった。高層新築マンションや上方への伸張工事が進むビルが立ち並び、高層ビル建築用にそそり立つ多数のクレーン、海岸線にも多数のマンションが建築中で景気の高まりを示していた。

話は変わるが、モナコのカジノはモナコ国籍保持者のギャンブリングを禁止しているのはご存知だろうか?これはカジノ開業の発案者で実行役員でもあったプリンセス・キャロラインが150年以上も前に定めた掟だそう。

閑話休題、イベントレポートに話を戻そう。レースA1は、1931年ブガッティ51でモナコグランプリで勝利を収めたモナコ国民ルイ・シロンに因んで名付けられたレース。戦前のグランプリカー(1925~1937年)は断トツの速さで3位以降を引き離したERA2台の一騎打ちで、マイク・ギリスが勝利した。

レースA2はフロントエンジンのグランプリカー(1948~1960年)、ドイツ人女性ドライバー、クラウディア・ハートゲン駆るフェラーリ246ディーノとTEC-MEC F415のトニー・ウッドのバトルを制したのはクラウディアだ。レースBは、1961~1965年に製造された1500㏄グランプリカー。スタートから競り合っていたフェラーリ1512とロータス21だったが、9周目サンデボーテでマークショウがバリヤにクラッシュ。勝利はフェラーリのジョー・コラサコの手に。

レースA2ウィナー、クラウディア・ハートゲンとイベントスポンサー・タグホイヤーのレプ。彼女は壇上でドイツ国歌を聞きながら必死で涙をこらえていた。

レースBに日本からロータス18でエントリーの久保田氏。レースDにはロータス72で、レースGにはロータス91でトリプルエントリー。

他にも1952~1957年までのスポーツカーを集めたレースCや、1966~1972年の3リッターエンジンのF1カーが走るレースD、さらに1973~1976年を対象にしたレースEでは3リッターF1、3台のロータス77、2台のマクラーレンM23、フェラーリ312T、312B3、シャドウ、ペンスケ、ヘスケスほか総台27台がエントリー。スチュアート・ホールのヤードリーマクラーレンM23が勝利した。

タバココーナーにアプローチするレースCの先頭集団。先頭はクーパージャガー、2番手、3番手はマセラティ300S。

レースFは1977~1980年の3リッターF1、グランドエフェクト到来の時代。11台のグランドエフェクトカーと7台のノングランドエフェクトカーの混走だ。ポールセッター、マイルス・グリフィスのフィツバルディF5Aはフォーメーションラップ後ピットへ入りスタートならず。レースウィナーのマイケル・ライオンとのバトルを楽しみにしていたのに残念。レースGは1981~1985年の3リッターノンターボエンジンのF1で、ウィナーはロータス87のマルコ・ワーナーで、3台のJPSロータスが表彰台に上った。

ロータスの創始者、コーリン・チャプマン没後40年、彼のF1への貢献と熱意を称賛してスターティンググリッドに集まった歴代ロータスF1達、その前で両手を広げて微笑むのは現クラシック・チーム・ロータスの総帥、クライブ・チャプマン。


ここに載せきれない写真は画像ギャラリーに掲載中。そちらもぜひご覧いただきたい。

文・写真:藤原コウゾウ Words and Photography:Kozo FUJIWARA

オクタン日本版編集部

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