アストンマーティン社のオーナー、デイヴィッド・ブラウン卿の愛車DB5を手に入れるチャンス!

Nicholas Mee & Co

イギリスのアストンマーティン・スペシャリスト「Nicolas Mee & Co.」に面白い一台がお目見えした。DB5は123台しか生産されなかったDB5コンバーチブルという希少性もさることながらアストンマーティン・ラゴンダの会長を務め、自身の名前のイニシャルをモデル名に採用した、デイヴィッド・ブラウン卿が新車でオーダーしたヒストリーを持つ車両でもある。



デイヴィッド・ブラウン卿はアストンマーティンの歴史を語る上で外せない人物である。だが、アストンマーティン社を設立したわけではない。元々、アストンマーティンは1913年に「バムフォード・アンド・マーチン」として産声を上げた。そして1915年に製作された1号車が、イギリスのバッキンガムシャーの村「アストン・クリントン (Aston Clinton) 」で開催されたヒルクライムレースで成功を収めたことから、「アストンマーティン」のブランド名が誕生した。

その後、幾度の倒産を経て、やがてデイヴィッド・ブラウンがアストンマーティン社を買収した。しかも、買収のきっかけが“高級スポーツカーメーカー売りたし”という新聞広告だったとは、何回聞いても驚く。3万ポンドが提示されていたなか、デイヴィッド・ブラウン卿がオファーしたのは2万500ポンドだったというから二度驚く。

そんなデイヴィッド・ブラウン卿が自身の愛車に選んだのが、このDB5コンバーチブルだった。鋭い諸姉、諸兄なら「ヴォランテじゃなくて“コンバーチブル”?」とお思いだろう。オープンモデルに「ヴォランテ」のモデル名が用いられたのは、1965年からだったのだ。





1964年1月に納車されたDB5コンバーチブルはカリビアン・パールの外装色を纏い、ブルーレザーのインテリアを持つ。当時、オーダーできた最高峰の仕様で最新のZF製5速MT、パワーロック・リアアクスル、クローム・ワイヤーホイール、モトローラ製ラジオを装備していた。





3年間、デイヴィッド・ブラウン卿が乗った後、いくつのオーナーの手元を渡り、直近はアストンマーティンのエンスージャストとして有名なジョン・ウィルキンソン氏が所有してきた。ウィルキンソン氏はDB5コンバーチブルのメンテナンスを全て、ニューポートパグネルのアストンマーティン社で行っており、その記録も残っている。

2014年にはフルレストレーションが施されエンジン、サスペンション、トランスミッション、ブレーキ、リア・アクスルなどをオーバーホール。ボディは剥離・塗装し、インテリアはコノリーレザーを張り替え、新しい幌が装着された。全ては新車時のオーダーシートに沿った内容で、デイヴィッド・ブラウン卿が新車時に味わった状態に戻っている、ということ。





なお、ウィルキンソン氏がDB5コンバーチブルを購入したのもNicolas Mee & Co.で、同車が“中古車市場”に登場するのは実に28年ぶりのことだという。新車時登録から58年が経過し現在、走行距離は9万9323マイル(約16万km)だが、よほど品質に自信があるようで「12カ月保証付き」で販売されている。なお、車両販売価格は115万ポンド(約1億9000万円)とこちらも自信ありげ。

文:古賀貴司(自動車王国) Words: Takashi KOGA (carkingdom)

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