1961年以来の再会!世界で初めて披露されたジャガーEタイプ3台が50年ぶりに一堂に

Abigail Humphries

舞台は1961年3月のジュネーヴ。長い準備期間を経て、ジャガーはEタイプを解き放そうとしていた。Eタイプの最初のプロトタイプといえる、E1Aの構想が生まれたのは、XK140がまだ好調な売れ行きを示していた1956年で、当時はDタイプがル・マンを席巻していた。しかし、XK150が発表された1957年には、すでにXKのコンセプトは時代遅れとなり、飛躍的進歩が必要になっていた。

デビューのとき


1950年代末は、2台のプロトタイプ・ロードスターがテストの重責を担い、さらにフィクストヘッドクーペ2台が1960年に造られた。1台は車を壊すことで有名なベルギーの石畳でガタガタになり、現存していない。2台目は、ジャガーのチーフ(そして唯一の)テストドライバーであるノーマン・デュイスによって、性能試験場と公道で使われた。

どうやらエンジニアリング部門にはそれほど切迫感がなく、会社も、いつどこで発表するか決めかねていたようだ。1960年のアールズコート・モーターショーが候補に上がったが、準備が間に合わないとして見送られた。

ようやく決断が下り、ジュネーヴ・モーターショーが発表の舞台に選ばれた。その頃になっても、車の準備は進んでいなかった。しかし、発表前に車を報道陣に貸し出して、新聞や雑誌の試乗記事が用意できた上で、発表の瞬間を迎える必要があった。

そこで、2台目のプロトタイプであるハンドビルドのフィクストヘッド・モデルを広報車にあてることとなった。その前に、ごく限られたエキゾチカだけが成し遂げていた最高速150mphの殿堂にEタイプを入れる必要があった。なにしろ、それを謳った販促資料はすでに印刷済みだったのだ。だが、12月のテストは霧や雪や路面の凍結に阻まれた。順調に運び始めた1月下旬に、デュイスはこう報告している。

「高速道M1で最高速テスト。天候は霧、路面はウェット。ノーサンプトンからニューポート・パグネルまで7回計測。記録した最高値は、速度計 143mph、レヴカウンター5000rpm。使用タイヤはダンロップRS5、空気圧は前35psi、後40psi」

このパフォーマンスでは不十分だった。伝説的設計者のマルコム・セイヤーが計測時の様々な仕様とその速度を分析した。タイヤはレース用のやや径が大きいR5に交換し、バンパーや仮ナンバープレート、オーバーライダー、エアフィルターを取り外すことが効果的だろうとの結論を導き出した。

さらに、タイヤの空気圧を前40psi、後45psiまで上げた結果、1月25日にMIRAのストレートで、デュイスが5800rpmまで回して、147mphを叩き出した。

この車は、2月10日に9600HPのナンバーで登録され、広報用フィクストヘッドとなった。ロードスターも必要だったため、生産ラインで造られた2台目、登録ナンバー77RWが選ばれた。2台はロードテストに使われたほか、77RWは発表会前に様々な媒体に貸し出され、夢の150mphに挑んだ。

休む間もなくジュネーヴ・モーターショーが迫ってきた。発表会は、ショーが開幕する3月16日の前日に催したうえで、Eタイプを2台展示する計画だった。1台は、ジュネーヴ郊外のオーヴィーヴ公園にあるレストランの中で披露された。

レストア中に判明したのだが、シャシーナンバー5は、ロードスターとして生を受けたあとで、急遽クーペに仕立てられていた。このクーペは木箱に収められた態で、ウィリアム・ライオンズ卿による発表会でドラマチックに姿を現した。招待されたメディアは近くで見ようと殺到し、すし詰め状態となった。

次にメディアが建物の外へ案内されると、そこには9600HPが展示されており、ライオンズ卿と並んでの写真撮影がおこなわれた。これは有名な話だが、実は直前に準備が遅れ、腕利きのアマチュア・レーシングドライバーでジャガーの広報マンだったボブ・ベリーが、コベントリーからジュネーヴまで全開で飛ばして、ぎりぎりで到着したのだった。

一方、5台目のFHCは、ブリジット・バルドーの当時の夫、フランス人俳優のジャック・シャリエが試乗したあと、夜の間にモーターショーのジャガーのブースに運ばれた。その間も、ボブ・ベリーと9600HPは、仮設サーキットで短時間の同乗デモ走行にいそしんでいた。需要をさばき切れなくなったので(チケットを偽造する者がいたのだ)、電話でファクトリーに助けを求め、デュイスが仕事を投げだして、77RWでジュネーヴへ駆けつけた。

ショーカーのその後


ショーのあと、5号車、すなわち“885005”はスイスで売却され、その後のヒストリーの多くは失われた。1976年に若いシェフが後ろ向きに小屋を突き破る事故を起こしたが、このEタイプの重要性が明らかになったのは、さらに10年後のことだった。最終的に、コレクターのクリスチャン・ジェニーが購入してレストアし、今はチューリッヒ近郊にある彼のジャガー・スポーツカー・コレクションに収蔵されている。

(C) E-type Club

ロードスターの77RWは、しばらく広報車として使われたあと、やはり長く行方不明だったが、やがて発見されてレストアを受けた。現在は、オーナーのマイケル・キルガノンによってジャガー・ダイムラー・ヘリテージトラストに「永久貸し出し」中だ。一方、9600 HPは1962年初頭にギルドフォードのクームスに売却され、数人が所有してきた。私もそのひとりだ。

まったく異なる道をたどってきた美しい3台が、2021年6月にシェルズリーウォルシュで再会を果たした。Eタイプ60周年記念ミーティングのフィナーレを飾るにふさわしい目を見張る光景だった。

(C) E-type Club


編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵
Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) Translation:Megumi KINOSHITA
Words:Philip Porter Photography:Abigail Humphries

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下恵

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