おそろしく希少で、最高にクールな SC/RS|もうひとつのロスマンズ・ポルシェ(前編)

Drew Gibson

モータースポーツ界で一世を風靡したパートナーシップと聞いて、ロスマンズとポルシェの関係を思い浮かべるファンは少なくないだろう。彼らはグループC時代のル・マン24時間を文字どおり制圧し、ジャッキー・イクス、デレック・ベル、ヨッヘン・マス、ステファン・ベロフといったヒーローを生み出した。

しかし、ロスマンズ・ポルシェは耐久レース界だけで活躍したわけではない。ここでは、ヨーロッパや中東のラリー・シーンで活躍した"もうひとつのロスマンズ・ポルシェ"についてご紹介しよう。



今日、モータースポーツ界のスポンサーといえばエナジードリンクがその筆頭に挙げられるが、1970年代から80年代にかけて、もっとも予算に余裕があるスポンサーはタバコ会社だった。現在のように広告に関する規制がほとんどなかった当時、ポルシェが新たなカテゴリーにチャレンジするといえば、ロスマンズはふたつ返事でそのスポンサーシップを引き受けていた。そして、こうした背景で実現したのがポルシェのラリー・プログラムだった。

ロスマンズ・ポルシェの台頭


ポルシェが発案し、ロスマンズが資金を提供し、プロドライブを設立したばかりのデイヴィド・リチャーズが仲介役を務めたこのプロジェクトは、競技に挑んだ数ある911のなかでも、とりわけ傑出した戦績を残した。それこそが、おそろしく希少で、最高にクールな SC/RSなのである。

その存在は極めてレアで、わずか20台しか製作されなかった。うち、ロスマンズ・カラーにペイントされて競技を戦ったオリジナルは5台だけ。残る15台は、ロードカーのスペシャルエディションとして、ポルシェのコンペティション部門から密かに売却された。価格は18万8100マルク(当時のレートで約1560万円)だから、5万ポンドを少し切っていた計算になる。いずれにせよ、大金だったことは間違いない。



デイヴィド・リチャーズにとっても、SC/RSはとりわけ特別な存在だった。リチャーズはこう語っている。

「ロスマンズがポルシェのスポンサーについたのは、私がコンサルタントを務めていたからです。1979年から81年まで、ロスマンズはWRCを戦うアリ・ヴァタネンと私をサポートしていて、81年に私たちはチャンピオンになりました(マシンはフォード・エスコートMk.2)。私は82年と83年にオペル・ラリーチームの運営を任されていましたが、そのときのスポンサーもロスマンズでした。私たちは長期的な関係を築いていたのです」

「同じ82年にはロスマンズ・マーチ・グランプリ・チームの活動にも携わっていましたが、こちらはマシンがまるでダメで、改善の見込みはありませんでした。しかし、だからといって私たちが何もせずにロスマンズを落胆させるわけにはいきません。同じ頃、チームのドライバーだったヨッヘン・マスは、ポルシェが耐久レースに復帰するという噂を聞きつけてきます。そこで私たちはフェルディナント・ピエヒを始めとするポルシェの役員たちとミーティングを持ちました。そのランチの席で、グループCに参戦するポルシェのスポンサーをロスマンズが務める話しがまとまったのです」

その先に起きたことは、すでに伝説となっているとおりだ。

1980年代半ばを迎えると、ポルシェはラリーレイドにも打って出るようになる。そしてこのプログラムは4WDでターボエンジンを搭載したグループB の959 を生み出し、1986年のパリ・ダカール・ラリーで1-2フィニッシュを果たすという結末を迎える。ただし、もともと959はWRCのために生み出されたマシンだったが、開発が遅れたためにグループB自体が消滅し、参戦のチャンスを逃していたのである。

こうして生まれた空白を埋め合わせるために、SC/RSプロジェクトはスタートしたのだが、複雑な959の開発を進めるかたわら、ポルシェがラリーの実戦経験を積むという意味において、この活動は実に有用だった。これを実行するため、ポルシェは3.0SCをグループ3カーとしてホモロゲーションを取り直す。さらに、当時のグループB規定を満たすため、20台の"RS"エボリューションが製作された。当時の規定によれば、グループ1からグループ4までの車両は、何の変更もおこなわずに新規定へと移行することができた。



すでに発売されていたGシリーズの3.2カレラではなく、ひと世代前の3.0SCが選ばれたのは、排気量が3000cc未満の場合、最低重量が960kgとなるためだった。3000cc以上では、これが1100kgへと引き上げられる。これはポルシェが得意とする手法であると同時に、彼らがワークスカーを国際的なラリー・シーンに送り込んだ最後の事例となった。

リチャーズは、自分の手元に重大なチャンスが転がりつつあることに気づく。それまでラリーではオペルのスポンサーを務めていたロスマンズだが、今後はポルシェとの関係をさらに深めたいと望んでいた。そこでリチャーズはファクトリーが用意したSC/RSでラリーに挑む計画を立てる。無論、スポンサーはロスマンズである。

1984年ヨーロッパ・ラリー選手権に参戦するチームは、ドライバーとしてヘンリ・トイヴォネンを起用。ちなみにトイヴォネンは前年までオペル・チームに所属していた。いっぽうで、彼らはこの年始まったFIA中東ラリー選手権にもエントリーし、こちらはサイード・アル・ハジリにステアリングを委ねた。複数のチャンピオンシップに挑むことは、SC/RSプログラムがいかに真剣な取り組みだったかを物語っていた。

【後編】に続く。


取材協力:オーナーとダンカン・ハミルトンROFGO(dhrofgo.com)

編集翻訳:大谷達也 Transcreation: Tatsuya OTANI
Words: Richard Meaden Photography: Drew Gibson

オクタン日本版編集部

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