ある男の情熱|廃車寸前だったポルシェを蘇らせた理由とは?

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ウィーンのガレージにひっそりと佇むバハマイエローのポルシェ911S。50年以上前、F1ワールドチャンピオンにも輝いたレーシングドライバー ヨッヘン・リントが駆っていた一台だ。

現在、このポルシェを所有しているのはエンスージアストのへインツ・スウォボダという人物である。シンプルなガレージの中には、色とりどり多国籍のコレクションが並んでいる。様々な車を所有してきたが彼が求めている車はきっちりと整備されているものではなく、整備しがいがある、少しやれている車だという。



例えば、こんな中古のポルシェ911があった。かつてF1界のレジェンド ヨッヘン・リントが乗っていたものだが、その後のオーナーによって数え切れないほどのラリー走行でもはや廃車寸前の状態にあった、というもの。50年の時を経て、基本的な部分しか残っていなかったが、そこにはもちろん、素晴らしい出自と記憶があることを踏まえ、へインツはボロボロだったポルシェを気に入った。

ヨッヘン・リントといえば「レース界のポップスター」とも呼ばれているレーサーだ。この愛称は、彼がもたらした感動、彼自身の人柄を表しているといえる。リントは、仕草、話し方、振る舞いなど人としての魅力にあふれ、人々の憧れの的となっていた。60年代後半のF1シーンは、彼に並んでジャッキー・スチュワート、グラハム・ヒル、ジム・クラークといった名前に彩られた。彼らそれぞれの個性こそが、F1というスポーツに新鮮で華やかな空気を吹き込んでくれたのだ。

しかし、リントがグラハム・ヒルの移籍によってロータスのエースドライバーの座に就いた1970年に悲劇は訪れた。リントは1970年のシーズン途中、第10戦イタリアGP予選で事故に遭い28歳という若さで命を落とした。その時点ではチャンピオンではなかったが、それまでにリントが獲得したポイントを超える者がいなかったため、死後にチャンピオン確定となったというストーリーがある。



1967年、リントは絶頂期を迎えていた。F1だけでなく、906、907、910のポルシェでデイトナからル・マンまでの耐久レースも走っていた。その年、リントは39のレースに出場し、そのうち13勝を挙げている。そんな大スターのために、ザルツブルクにあったオーストリア・ポルシェの輸入代理店は、1967年5月に彼用のカンパニーカーを登録していた。用意されたのは、フックスのリムを装着したツッフェンハウゼン最初の生産モデルである911S、バハマイエローで身をまとった一台である。この色は、カリブ海の光の中でポルシェのペイント開発者が発見したばかりのカラーであった。バハマイエローの911はリントが住むウィーン郊外のヒーツィングにしっくり来る、どこか特別な存在だった。カンパニーカーとはいえ、愛車としてポルシェを世界各地で走らせた。コクピット内の写真から、リントがドライブのときはベージュ色の手袋をしていたことがわかる。

1968年シーズン、リントがロータスに移籍することが明らかになると、ポルシェとの関係は終わり、ナンバープレートS8.491の911Sとの絆もまた終わりを告げた。車に優しいといわれたリントだが、記録上では911のフロントバンパーに1箇所だけ凹みを作っていた。ある意味、彼が乗っていた証でもある。オーストリアの輸入業者によると、この車はモーターレーシングの世界に留まり、再登録され特別チームによるラリー用に準備されたという。



911がウィーン南部にあるスウォボダのガレージに入ることができたのは、法医学的なレベルとさえいえる再構築のおかげである。リントが持っていた頃の匂いは何度も途絶えた。しかし、彼はこのポルシェと出会い、すぐに気に入ると徹底的な調査をおこない、もろいステアリングホイールの修復からバハマイエローのペイントに至るまで、憧れのF1ドライバーと共に駆け巡っていた頃の状態に復元させた。相当な根気と情熱を持っていないと成しえないことだ。フックス製のリムは後年のもの、シートの千鳥格子柄はあえて再現しなかったという。911Sは"ほぼ元通り"に、新しい息吹を吹き込まれた。

リントの意志は関係なく、ポルシェとの物語は途絶えてしまったが、こうしてまた新たな物語が刻まれてゆくというのは、車だからこその素敵なストーリーである。スウォボダはリントへの想いを馳せながらドライブさせるのだろう。

オクタン日本版編集部

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