非合法公道レース映画『キャノンボール』のスター、伝説のカウンタックは今どうしている?

courtesy of Preston Rose/Hagerty Drivers Foundation

2021年に50周年を迎えたランボルギーニ・カウンタック。車好きから絶大な支持を受ける映画『キャノンボール』に出演した1台をOctaneが訪ねた。



間違っても名作ではない。傑作映画トップ10はもちろん、トップ100にも選ばれないだろう。それでも、1981年6月に公開された『キャノンボール』は、車を主役とするハリウッド映画の新たなスタンダードとなった。荒唐無稽なコメディ映画で、オールスターキャスト(バート・レイノルズ、ロジャー・ムーア、ジャッキー・チェンなど)も魅力だが、同種の映画に比べて特に抜きん出ているのが、登場する車の多さとその人気の高さだ。

特に有名なのがオープニングシーンで、カメラがランボルギーニを追う点は『ミニミニ大作戦』(原題『イタリアン・ジョブ』)と同じ。しかし『キャノンボール』は12年後の作品なので、主役を張るのは丸みのあるオレンジのミウラP400ではなく、前後にウィングを装着したシャープな黒のカウンタックLP 400 Sだ。12気筒エンジンとダウンドラフトキャブレターが放つサウンドも相まって、3分26秒におよぶオープニングシーンは伝説となった。これを見てランボルギーニにハマったと打ち明けるカウンタックのオーナーは、当時から今に至るまで数多い。

映画『キャノンボール』のオープニングシーン。カウンタックがネバダ州ハイウェイパトロールのトランザムとカーチェイスを繰り広げる。

舞台はラスベガス郊外の荒野を走る直線道路だ。ここで、1979年カウンタックが、ネバダ・ハイウェイパトロール随一の1980年ポンティアック・トランザム4.9ターボTトップと鬼ごっこを繰り広げる。そのカウンタックこそ、この記事で紹介する1台である。

映画『キャノンボール』は、実際に行われた非公式のアメリカ横断レースを元にしている。このレースには、交通規制を厳格化する新しい法律への抗議が込められていた。

石油危機を受けて、アメリカ全土の法定速度を55mph(88.5km/h)に制限する法律が1974年1月に議会で承認された。制限は12カ月後に撤廃される予定だったが、結局この悪夢は20年にわたって続き、速度違反で徴収された罰金は膨大な額になった。

影響はヨーロッパにも及んだ。スポーツカーメーカーにとって重要なアメリカへの輸出市場が一夜にして縮小してしまったのだ。ランボルギーニにとっては最悪のタイミングだった。新たなコンセプトカー、カウンタックLP 500を1971年3月に発表し、数年におよぶ開発の末に、1974年1月から少数ながら生産を開始する準備が整ったところだったのだ。排気量を縮小してカウンタックLP 400として発売したのは、ミウラの人気を引き継ぐモデルとして、アメリカで販売許可を得るためだった。しかし、新たなアメリカの制限速度に1速ギアで軽々と到達できるだけに、叶わぬ夢に終わった。

アメリカの自動車コミュニティーには、新法に公然と反旗を翻す者もいた。『Car & Driver』誌の有名なモータージャーナリストで、ウィンストンカップ(現NASCAR)のピットリポーターや解説を務めていたブロック・イェーツは、1970年に仲間と一杯やった席で、非公式の大陸横断レースを提案していた。レースの名称もその場で決まった。「キャノンボール・ベイカー・シー・トゥ・シャイニング・シー・メモリアル・トロフィー・ダッシュ」だ。この名称は、数々のアメリカ横断最速記録を打ち立てて“キャノンボール”(砲弾)の異名を取った故アーウィン・ベイカーを称えるものだった。

ベイカーは20世紀初頭に二輪や四輪の新モデルの宣伝を請け負って、アメリカ横断最速記録をなんと143回も更新した。前の記録を破らなければ、スポンサーから報酬を受けられなかったのである。例えば1915年にはロサンゼルスからニューヨークまでをスタッツ・ベアキャットで11日と7時間15分で横断したが、翌年にはキャデラック8ロードスターで記録を4日近く短縮。1933年になると自動車の性能は格段に進化し、グラハムペイジのモデル57ブルー・ストリーク8でニューヨーク~ロサンゼルス間を53.5時間で走破した。イェーツはここからキャノンボールの着想を得たのである。

1971年の春、イェーツは仲間や息子と共にダッジのバンに乗り込むと、マンハッタンからロサンゼルスのレドンドビーチまで、2863マイル(約4600km)を40時間51分で走り切った。

イェーツがその一部始終を『Car & Driver』誌に掲載すると、読者から熱烈に支持され、再開催を望む声が寄せられた。そこで、1971年11月15日の真夜中、今度は8台がニューヨークに集まって、いっせいに西へとスタートした。イェーツは、ダン・ガーニーと組んでフェラーリ365 GTB/4デイトナに乗り、真っ先にゴール。記録は35時間54分、平均速度およそ80mph(約130km/h)だった。こうしてキャノンボールは伝説となり、1979年まで何度か開催された。

キャノンボールの非合法なところに魅了されたのが、映画監督で元スタントマンのハル・ニーダムだ。その前にバート・レイノルズ主演の映画『トランザム7000』の脚本・監督も務めていたニーダムは、キャノンボールを元にした脚本の執筆をイェーツに依頼した。撮影は1980年夏に行われ、イェーツとニーダムの情熱と手腕によって、数々の名車によるアクションが楽しめる映画『キャノンボール』が完成した。ハリウッドならではの夢が上乗せされて、ランボルギーニ・カウンタックは映画の中で優勝し、現実世界でもスターとなったのである。

オクタン日本版編集部

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