京都の銭湯文化は奥が深い!身体を温め、ととのえる旅|禅と湯 ととのう京都 体験記 其の二

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禅と湯 ととのう京都 体験記:其の一」に続く第二弾。今回は京都の銭湯について紹介する。



これまでも京都には銭湯が多いという漠然とした印象があった。京都には大学が多いため、下宿生のためのものかと勝手に想像していたが、実は京都には遥か昔から銭湯は存在していたのだという。昨今、サウナが若い世代にも人気だが、それより何百年も前から銭湯は京都の歴史と共に歩んできた偉大なる文化だったのだ。

京都市北区、金閣寺や大徳寺にほど近い場所に大正・昭和の趣を色濃く残す銭湯がある。その名は「船岡温泉」。大正12年に料理旅館「船岡楼」の付属浴場としてオープンしたという。京都の銭湯の最盛期は大正時代だったというから、まさに黄金期に開設された浴場だといえるだろう。



京都に銭湯が多い理由について、京都の歴史や文化に造詣の深い「株式会社らくたび」の田中昭美マネージャーに話を伺った。京都は職人が多く暮らす町であったため、彼らが利用することが多かったのだという。今回訪れた船岡温泉には、西陣織の職人がよく訪れたのだとか。

京都の風呂の歴史は非常に古く、6世紀にまで遡る。現在のように湯船に浸かる形ではなく、蒸し風呂の形式で、仏教の到来とともに禅宗の修行の一環として使用されていたようだ。その後、寺院では庶民に浴室を開放して入浴を施す、いわゆる「施浴」がおこなわれるようになった。

人々から入浴料をとる「銭湯」が始まったのは鎌倉時代だといわれる。それまでは身を清めるための場であった入浴施設が、庶民の娯楽や社交場という位置付けに変化していったのもこの頃からといわれている。

話を船岡温泉に戻そう。まず、脱衣所から浴室への通路一面に貼られた華やかなタイル装飾がとにかく明るく鮮やかだ。レトロな外観からは想像がつかない“かわいい”ポイントに不意打ちを食らった気分だ。聞けばこれはマジョリカタイルといって、大正時代から昭和初期にかけて盛んに生産されたものだという。



他にも圧巻なのは脱衣所の欄間や天井に施された細工の数々。葵祭の行列や、上賀茂神社の賀茂競馬、上海事変の様子がびっしりと彫り込まれた欄間や、天狗と牛若丸が配された格天井は一見の価値がある。





脱衣所と浴室部分は国の登録有形文化財に登録されている。ただ湯船に浸かるだけではなく、京都の銭湯に思いを馳せながらゆったり入浴すれば、“ととのう”こと間違いない。


身体をリフレッシュしたあとに訪問したいのは、元銭湯「藤の森温泉」をリノベーションしたカフェ「さらさ西陣」。店内には船岡温泉同様にマジョリカタイルの装飾が施されている。美しいタイルで目の保養をしながら、名物メニューのトルコライスをオーダーすれば、お腹も満たされ、幸せな気持ちになることだろう。





トルコライス ¥1,300(税込み)
ミニサラダ/スープ/自家製タルタルソース&濃厚デミグラスソースがけ手仕込みロース豚カツ(玉子かけ)/海老フライ
トマトソースパスタ/※ロース豚カツ→唐揚げ三個、海老フライ→あじフライ にそれぞれ変更可能


ケーキセット ¥1,000(税込み)
お好きなケーキ+ドリンク/<ドリンク種類>コーヒー、カフェオレ、紅茶、さらさのチャイ、HOKUZANのお茶/<ケーキ種類>キャラメルチーズケーキ、アップルウォールナッツケーキ、キャロットケーキ、ダブルチョコレートケーキ、パンプキンケーキ、チョコチップクリームチーズケーキ、ラムレーズンホワイトチョコチーズケーキ


オクタン日本版編集部

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