なんという僥倖!カウンタック、ディアブロ、ムルシエラゴにアヴェンタドールまで。歴代ランボV12モデルを一気乗り

Hidehiro TANAKA

モダンランボルギーニ史はそのまま"カウンタックの歴史"である。つまり今年、2021年に生誕50周年を迎えたカウンタックとその後継モデルの半世紀こそが、今我々の知るランボルギーニのイメージそのものなのだ。



世の中に存在しないカテゴリーの車を求めて


そもそもフェルッチオ・ランボルギーニが欲したのはカウンタックのような車ではなかった。美しい女性を優雅にエスコートでき、それでいて"速い"グラントゥーリズモであった。フェルッチオが自動車事業を始めた60年代前半において、今でいういわゆるスーパーカーというカテゴリーは未だ存在していないも同然だった。高級車カテゴリーに存在したスポーツタイプの車といえば、現代の基準からすれば多分にスーパーカー的な要素を含むと思われるかもしれないが、レーシングカーへの転用も可能なGTスポーツカーでしかなかった時代である。それゆえフェルッチオはロールス・ロイスのように豪華で快適、しかもその気になって走らせればスポーツカーのように速いGTを自ら作ろうとしたのだった。

結局のところ、世の中に未だ存在しないカテゴリーの車を作ろうとしたフェルッチオの情熱が、当時イタリアのモーターヴァレーにおけるトップクラスのタレントたちをかき集めての自動車会社設立となり、彼らがサンタガータ・ボロニェーゼで一堂に介したことで化学変化が起きてミウラが生まれ、結果的にカウンタックへと繋がった。当のフェルッチオが予想もしなかった展開だと言っていい。何せフェルッチオの理想といえば、彼のショールームでいうところの400GT(ハラマ、イスレロ、エスパーダを含む)だったのだから!

60年代なかばのこと。それまでレーシングカー専用のレイアウトと目されていたリアミドシップ(MR)をロードカーに転用しようという動きが奇しくもエンジニアたちの話題となっていた。そんなタイミングでジャンパオロ・ダラーラというレースカー志向の強い天才エンジニアがサンタガータに勤めていたことが物語の始まりだったと言っても過言ではない。

ジャンパオロはフェルッチオの望んだFRの豪華なGTに飽き足らず、最新のメカニズムを持つジオット・ビッザリーニ作のV12エンジンをドライバーの背後に置くロードカーを成立させようとした。けれどもミッションと合体した12気筒パワートレーンは長大でレーシングカーのように縦置きするとリアエンドが長くなるうえにトランクスペースにも困る。ミニのレイアウトに触発されたジャンパオロは巨大なエンジンを横置きにしてリアミドとすることを思いついたのだ。現代スーパーカー史の原点ともいうべきミウラの誕生である。

もっともマルチェロ・ガンディーニによるスタイリングは60年代のイタリアンクラシックなエレガンスを未だふんだんに讃えていた。とはいうもののフェルッチオが自ら雇い入れた若き才能たちの、言ってみれば"暴走"によって、ランボルギーニは図らずもハイエンドスーパーカーという新たな分野のパイオニアとなったという訳だった。

歴史の「もしも」を考える

ここで歴史のイフを考えてみたい。ミウラ登場ののち、もし仮にランボルギーニのビジネスが順風満帆、成功軌道に乗っていたら今頃どうなっていただろうか。フェルッチオが自動車ビジネスに興味を失わず、ボリビアで政変も起きず、会社を手放すこともなかったとしたら?イタリアのアストンマーティンのようになっていただろうか?少なくともこれだけは言える。

カウンタックは生まれなかったに違いない。



なぜならカウンタックは、フェルッチオが自動車ビジネスの最前線から身を引き、パオロ・スタンツァーニはじめあとを託された(しかし時間はもうほとんど残されていなかった)タレントたちによって生み出された窮余の一策だったからだ。

パオロはミウラの欠点克服に頭を悩ませていた。12気筒エンジン搭載だけは譲れなかったのだ。V12のフラッグシップモデルを進化させることがブランド継続につながるという確信があった。そのためにはドライバビリティとダイナミック性能の引き上げが急務だった。なんとしても12気筒エンジンを縦に積みたい。ユーザーからミウラに寄せられた様々な弱点はほぼ全てエンジン横置きレイアウトに起因していたからである。



そこでパオロが思いついたのが、パワートレーンを常識とは前後逆に配置、つまりキャビン中央にミッション、そしてエンジンを置くという奇想天外なレイアウトだった。スタンツァーニ"LPパッケージ"の誕生だ。これに加えてレーシングカーのようなサイドラジエター方式を採用することになり、基本のメカニズムが完成した。そしてマルチェロの出番...。

今なお人々を驚かせてやまないカウンタックのスタイリングは、もちろんマルチェロの天才性がいかんなく発揮され、超一流のモデラーたちが絶妙なディテールをミリ単位で調整し完成したものだが、それにもましてパオロによるLPパッケージによるところが大きかった。あの弓形の伏せ牛のようなワンモーションシルエットやシザースドアはLPパッケージあってこそ。デザインのためのデザインではない。カウンタックのカタチはメカニズムによって決定された必然だった。つまり、カウンタックはパオロとマルチェッロという二人の天才による合作というべき奇跡の作品である。

こうして生まれた瞬間から見るものを驚かせ、それが名前にもなったカウンタックは、しかし誕生する前から数奇な運命をたどることになる。会社もまた親会社の危機に伴うフェルッチオの完全離脱に始まり、オーナー変更や倒産を繰り返した。何度も消滅の憂き目に遭いつつも、カウンタックだけは進化した。74年の生産スタートから91年の終了まで、ランボルギーニはなんとかカウンタックを作り続けたのだ。それほど力のあるデザインであったし、何より優れたパッケージでもあった。

カウンタックの生産をやめてはならない。クライスラー傘下となって最初の議論は当然、フラッグシップモデルの未来をどうするか、だった。カウンタック継続の声も大きくあった。結果的にディアブロへとバトンタッチするわけだが、スタンツァーニのLPレイアウトは残された。つまりカウンタックは名と形を変えて生き残ったのだ。ここにモダンランボルギーニのブランドイメージはカウンタックで決定づけられることになる。



以来、ムルシエラゴ、そしてアヴェンタドールとパオロ・スタンツァーニのDNAは継承され着実に進化を続けた。4WD化などはパオロが当初より目論んでいたプランだったという。そしてランボルギーニといえば、あのカタチを指し、ドアは上に跳ね上がったのである。今でも最新のアヴェンタドールを見て、「あ、カウンタックだ!」という一般人は少なくない。

オクタン日本版編集部

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