見た目は変でも... 国王、実業家、俳優、多くの著名人に愛された魅惑的なマセラティ

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1958年11月のある日のこと。イラン国王 レザー・パフラヴィーは、マセラティの重役であるオルシとアルフィエリに会い、新しいスーパーカーについて構想を語った。それは、レーシングカー450SのパワフルなV型8気筒エンジンを搭載し、3500GTのようなラグジュアリーなグランツーリスモが欲しいというものであった。マセラティは国王の要望を受け、史上最高の車ともいわれる5000GT(社内ではティーポ103と呼ばれた)を完成させた。

5000GTの心臓部は、エキゾチックなDOHC、ツインスパークイグニッションを備えた5リッターエンジンであった。最初の2台は450Sをわずかにデチューンしたものだったが、マセラティはこのエンジンを一般道で走ることができるように改良し、内部寸法を見直し、ノイズの多い競技用ギアドライブを通常のタイミングチェーンに置き換えた。さらに注目すべきは、450Sエンジンのウェーバーキャブレターに代わって、ルーカスの機械式燃料噴射装置が導入されたことである。少々複雑なシステムだが、この燃料噴射システムによってエンジンはより使いやすくなり、全出力帯域でスロットルレスポンスが向上したのだ。

5000GTのシャシーは3500GTをベースに、パワーアップと重量増に対応するために専用設計された。ZF製マニュアルギアボックスとツインプレートクラッチが後輪にパワーを供給し、最新鋭のガーリング製ディスクブレーキが最高速度150mphを超える驚異的なスピードから車を減速させるのに役立った。

マセラティは1960年から1965年にかけて、アレマーノ、フルア、トゥーリング、ギア、ピニン・ファリーナなど8つのイタリアのコーチビルダーから、それぞれ個性的なデザインの5000GTを34台製造している。新車価格は14,000ドルというもので、フェラーリ 400スーパーアメリカに匹敵する高級車として富裕層たちの心を捉えた。フィアット社の社長ジャンニ・アニエリ、アメリカのスポーツ選手ブリッグス・カニンガム、イタリアの実業家フェルディナンド・イノチェンティ、俳優スチュワート・グレンジャー、サウジアラビアのサウド国王などが顧客に名を連ねている。



34台のマセラティ5000GTのうち、最も有名で魅力的とされているのは、ミラノのカロッツェリア・トゥーリングが製作した3台のモデルである。見た目こそ少々変わっているがこれらの壮麗なトゥーリング製5000GTは、しばしば "Scia di Persia"(ペルシャの王)と呼ばれる。これは最初に生産されたシャーシ103.002が1959年10月にイラン国王に新車で納車されたことに由来している。2台目のシャシー103.004は1959年のトリノ・モーターショーに出展され、1960年3月に南アフリカの最初のオーナーに販売された。マセラティの歴史家であるアドルフォ・オルシ氏が丹念に記録した、魅力的な歴史を持つモデルである。

オクタン日本版編集部

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