見た目は変でも... 国王、実業家、俳優、多くの著名人に愛された魅惑的なマセラティ

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1963年2月、AM103.010はイタリアの著名な脳外科医であるファビオ・コルメラに売却された。彼はすでに別のマセラティ5000GT、モンテローザボディのシャシー AM103.012を所有していた。当時、ボローニャとミラノのクリニックで手術をおこなっていたコルメラは、新しく買った一台を通勤に使い、200kmの距離を1時間足らずで走ったとされる高性能マセラティで通勤していた。彼は1964年秋までAM103.010を所有していたが、エンジンルームの火災によりファクトリーに返却されている。

1965年、ファクトリーでトゥーリングボディの5000GTを見たセルジオ・ペッテネーラ大尉は、当時レバノンに住んでいたサウジ王室のアブデル・マギン・ベン・サウド王子に代わり、マセラティにアップデートを依頼した。このとき、AM103.010はマセラティのファクトリーでさらに別の変貌を遂げた。グリル、エアインテーク、クロームサイドモールディング、15インチのボラーニ製ワイヤーホイールが装着され、エキゾーストシステムも新しくなるなど、外観が一新された。コックピットには、操作系、メーター、ステアリング・ホイール、助手席ヘッドレスト、フリギキング製エアコン、レコードプレーヤー内蔵の高級ステレオシステムなどが新たに組み込まれ、大きく生まれ変わった。また、マセラティはこの車をAM103.090と改番した。おそらく、旅慣れた5000GTがずっと新しい車であることを印象づけるためであろう。1965年11月に完成したこのアップデートカーは、13,000ドルで売却され、ベイルートの新しいオーナーのもとに送られた。

4年後、5000GTは当時のオーナーであるアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニーの社員、キアラン・トンプソンによってマセラティ工場に戻された。その後、1975年にイアン・スヴァンバックというスウェーデンの愛好家が入手するまで、マセラティはモデナ地方にとどまっていた。彼の所有期間中、ボディワークはマットブラックに再塗装され、ローマの専門家が機械的なレストアをおこなっている。1970年代後半、スヴァンバック氏はピエモンテのボディショップの経営者であるジョヴァンニ・ジョーダネンゴ氏にマセラティを売却した。



1980年代、ジョヴァンニは5000GTをレストアし、ブルー・アカプルコでボディを仕上げ、バッサーノ・デル・グラッパで開催されたカロッツェリア・トゥーリング・スーパーレッジェーラの第1回大会に出場させた。その後、ミラノで2人のオーナーの手に渡り、1994年にモデナで開催された「マセラティ80アニ」に出展。さらにその後、5000GTはイタリアのコレクター、イゴール・ザニージに売却され、無鉛燃料での走行を改善するためにバルブシートを含むエンジンのリビルドを依頼された。

1999年以降、この5000GTはアメリカの著名なコレクションに収蔵され、コーチビルトのマセラティGTカーの中でも最も重要なものと共に存在している。アントニオ・オルシ氏が所有していた1961年末から1962年初頭にかけて、AM103.010を最もエレガントな姿に戻すことを目的に、この車の初期の歴史について多くの調査がおこなわれ、包括的なレストアが開始されたのであった。エンジンは、イタリアでのオーバーホール以来、ほとんど使用されていなかったためリビルトされていないが、ルーカス燃料噴射システムは、ミシガン州トロイの有名なスペシャリストによってオーバーホールされている。

AM103.010は、マセラティが1960年代に生産したGTの頂点に立つ、特別な車のひとつであることは間違いないだろう。その長く魅惑的な歴史が徹底的に記録されているという点も大きな魅力だ。まさしく"キング"に相応しい、素晴らしい車といえる。現在アメリカで開催中のオークションに出品されており、残り一日の時点で55万ドルの値が付けられている。予想落札価格は70万~90万ドルだ。果たして次はどのような人物のもとへ渡るのだろうか、イベントで見かける日もそう遠くはないだろう。

オクタン日本版編集部

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