見た目は変でも... 国王、実業家、俳優、多くの著名人に愛された魅惑的なマセラティ

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1960年春に完成したこの5000GTは、1961年までマセラティのファクトリーに保管され、ヨーロッパの主要なモーターショーに出展されるなど、さまざまなプロモーション活動に使用された。また、3500GTに搭載された3.5リッター ツインカム直列6気筒エンジンに代わる新型の3850cc V型8気筒エンジンを搭載し、ティーポ104のテスト走行にも使用された。



そしてこの5000GTは、1960年3月のジュネーヴ・モーターショーで、ライトパステル・ブルーの塗装にホワイトレザーの内装でデビューを飾った。ワイヤーホイール、3本の水平トリムを持つクロムメッキのラジエーターグリル、フロントホイールアーチとドアの間にあるサイドマーカーランプなどを装備したオリジナルモデルである。

ジュネーヴの後、5000GTはマセラティの工場に戻り、アズーロ・ヴィンセンヌ(ヴィンセンヌ・ブルー)というメタリックブルーに塗り替えられ、ブラックのレザー張りに変更された。このとき、グリルが見直され、サイドマーカーランプが移設され、ヘッドライトはクロームメッキの楕円形プレートの上に置かれ、バンパーのオーバーライダー、ドアハンドル、ワイパーも異なるものが装着された。このように改良された5000GTは、1960年11月のトリノモーターショーに出展された。

マセラティがシャシー103.010の証明書を発行したのは、1961年5月であり、1961年モデルということになる。このとき5000GTは、マセラティ社を統括するオメル・オルシのいとこ、アントニオ・ウンベルティーノ・オルシが所有するモデナのフォンディエ・ディ・モデナに正式に売却されることになったのである。そして、この車はモデナで「MO 66158」として登録され、1961年6月3日、ハネムーンで使用するために結婚式の昼食会の終わりにアントニオ・オルシに贈られた。

その後、アントニオ・オルシと妻のクラウディアは、リミニで開催されたコンコルソ・デレガンツァに5000GTを出品し、ベストオブショウを獲得したと伝えられている。このとき、5000GTはすでにメタリックレッドにペイントされ、バンパーのオーバーライダーがフォグランプに変更されるなど、外観上の変更も加えられていた。



さらに1961年には、実験的なエンジンであったティーポ104が5.7リッターV型8気筒に、その後ルーカス初の燃料噴射式5リッターV型8気筒ティーポ103に変更された。そして1962年2月4日、ついに5000GTに現行エンジンであるフューエルインジェクション・ティーポ103 V型8気筒(型番:AM103.010)が搭載されたのである。

1962年8月、マセラティの工場長でアントニオ・オルシの友人でもあったアウレリオ・ベルトッキは、リミニで開催されたコンコルソ・デレガンツァにAM103.010を出展した。その年の11月、5000GTは、ボローニャのマセラティ公式ディーラーを務めていた元F1ドライバーのチェーザ・ペルディサに売却された。この車はすぐにペーザロのマリオ・ペルッキーニに転売され、'PS 31530'として登録されている。

オクタン日本版編集部

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