北へ、南へ、シトロエン2CVと30年|第28回:今村幸治郎さんのいま

Yoshisuke MAYUMI

シトロエンをテーマとした数々の作品で知られる色鉛筆画家であり絵本作家の今村幸治郎さん。自動車雑誌「NAVI」での連載や、フレンチブルーミーティング(FBM)など各地のイベントで、その作品(時にはご本人)に触れたことのある方も多いのではないだろうか。残念ながら今村さんは2018年3月に病気のため64年の生涯を閉じた。その早すぎる逝去から3年余り、現在は息子さんがアトリエを継いでいるとの話を聞いて、宇都宮へと2CVを走らせた。



ただでさえ非力なワイパーが全くもって追いつかない豪雨の中、東北道から北関東自動車道を経由して宇都宮市の郊外にある今村幸治郎さんの自宅兼アトリエに到着した。宇都宮市と芳賀町の境に位置するこのエリアはきれいに区画整理がなされ、いわゆる新興住宅街とホンダの研究所もある工業団地が、周辺の緑と調和しながら点在している。開発は今も進行中で、2023年春には宇都宮ライトレールという新交通システムの開業も予定されている。



道路に面したガレージには2台のシトロエン、トラクシオンアヴァンと今村さんのイラストが描かれた白い2CVが停まっていた。納屋モノと呼ぶにはまだ少々早いがどちらも最近動いた形跡はない。そのことが少し気になりながらもアトリエに向かうと、奥様の京子さんと長男の遊(ゆう)さんが迎えてくれた。

アトリエから車で10分ほどの場所に昨年オープンしたギャラリーにて。

京子さんと今村さんの出会いは宇都宮駅の本屋だった。当時、東京でモデルとして活躍していた京子さんは、地元の宇都宮でモデル育成事務所を開くためにスカウト活動を行なっていた。そこで見かけた背が高く、ブーツを履いた「宇都宮には珍しい」おしゃれな男性こそ、若き日の今村幸治郎さんだった。

その頃の今村さんは東京の美大を出たばかりで仕事も決まっていなかった。そうか、今村さんは画家の傍らでモデル活動を行なっていたのか。そういえばどことなく俳優の岩城滉一さんに似た雰囲気だったなぁ、と勝手な想像を巡らせた筆者だったが、実際はモデルの仕事ではなく事務所のパンフレットや名刺の制作などを手伝っていたそうだ。

「二人でいるときは宇宙の話とかをする人で、普通の人と違っていたんですよね」と話す京子さんに、息子の遊さんが「初めて聞いた」と驚く。確かに親の恋愛話なんて、直接聞くことはあまりない。



出会ってから1年で二人は結婚する。その頃すでに今村さんの愛車は緑色の2CVだった。「屋根が開くから月と太陽を手に入れたんだ」とお気に入りの2CVで、夜中にずっと一人で走って風邪をひいたことも一度や二度ではなかった。

遊さんが誕生してからも今村さんの2CVとの日々は続く。遊さんが寝つかない時は2CVに乗せて近所へドライブによく出かけた。2CVの後席に流れ込んできた季節の匂い、エンジンの匂いは、かかっていた音楽の印象とともに遊さんの記憶に残っている。



しかし、遊さんは小学校に上がる頃になると父の2CVに反発するようになる。友達から「お前の家の車は変な車だ、日本車じゃないのか」などと言われたのが原因だ。「内心では2CVも父のことも好きだったですけどね。その時は父を傷つけてしまったかもしれないなぁ」と後悔の表情を少し浮かべた。そんな遊さんだが免許をとって最初に乗ったのは2CVだった。そして近所の河原で今村さんと練習を重ねた。小学校時代の「反抗」は、それで十分埋め合わたのではないだろうか。





画家としての今村さんが「本気」になったのは1980年、つまり子供が生まれてからだと京子さんは言う。今村さんの絵にシトロエンとともに登場するロボットの誕生もその頃だ。今村さんはロボットに「これだ!」というものを見出した。子ども時代の自分、子どもの心を持っていた時の自分。それをロボットで表現した。直接的に子どもを描かずロボットとしたのは自身の照れだと言っていた。



そしてカーグラフィックに絵を持ち込み、やがて同じ二玄社が出していたNAVIでの連載が始まる。今村幸治郎とシトロエン、そしてロボットが羽ばたく時がやってきた。国内各地のイベントに呼ばれるようになり、友人の河野さんとともに渋谷と神戸に自身のショップ「STUDIO2CV」を開いた。イギリスでの初めての海外展覧会、フランスのシトロエン本社での展覧会、フランスにおける日本年での展示など、活動の場は日本だけでなく世界へと広がっていった。



一方で、日本の画家の大半がそうであるように、今村さんといえども暮らし向きは決して楽なわけではなかった。しかし子供たちの前では「うちは貧乏じゃないよ」と振る舞った。実際、遊さんは自分の家は裕福だと大人になるまで思い込んでいたと言う。その陰で、のめり込んでいたビートルズとジャズの貴重なレコードコレクションを売却し、原画も結構売ってしまった。それでも今村さんは「ゴッホは生きている間に1枚も絵が売れなかったけど、自分は売れたから幸せだ」と京子さんには話していたそうだ。



今村さんは20年ほど前から体調を崩し、週3回の透析を受けるようになった。福井県あわら市の金津創作の森美術館で個展を開き、それを機に第1回のフレンチ・トースト・ピクニック(FTP)が始まった翌年のことだ。透析の時はいつも泉鏡花の全集を持っていった。辛い時間のはずなのに明るかった、明るい方に向かって生きていたと京子さんは言う。



病状が悪化し入院生活となった後も看護師さんの絵を描くなど、その創作意欲は尽きなかった。そして亡くなる6時間前には、間質性肺炎で呼吸器をつけていたにも関わらず、付き添っていた遊さんに死んだふりをして驚かせたらしい。「もうすぐ死ぬとわかっている人が死んだふりをするなんて、どうかしていますよね」京子さんと遊さんが目を合わせて笑った。そして遊さんが続けた。「亡くなる何時間か前に父に頭を撫でられ、ありがとうと言われたんです。どっちが病人か分からなるくらいに優しく大きく強い父がいました」



今村さんの仕事場だったアトリエは今も往時のままだ。デスクには何百本もの色鉛筆とミニカーの2CVが置かれ、お気に入りのレコードや蔵書が本棚に並んでいた。

昨年、遊さんはアトリエから車で10分ほどの場所に、今村さんの作品や多数のグッズが並ぶ「STUDIO2CVギャラリー兼SHOP」を開いた。事前予約は必要だが、今村さんの世界観が表現されたギャラリーは、ファンならずとも訪れてみる価値がある。



最後に、ガレージで眠る2台のシトロエンについて聞いてみた。何人かの知り合いから引き取りやレストアの申し出もあるそうだ。

「経済的な理由で手をつけていなかったのですが、きれいにしたいとずっと思っていました。父は洗車をするタイプじゃなかった。フランス車はそんなにきれいにして乗る車じゃないと言い訳をしていました。でも、あのままで置いておくのが良いのか、それは少し迷っています」



(KOJIRO IMAMURA.com)https://www.kojiroimamura.com/
(STUDIO2CV Webショップ)https://studio2cv.thebase.in/

文・写真:馬弓良輔 Words & Photography: Yoshisuke MAYUMI

文・写真:馬弓良輔 Words & Photography: Yoshisuke MAYUMI

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