領主リッチモンド公爵がパンデミックを乗り越え、2021年のグッドウッドを開催するまでの想いを語る

Main Portrait:Uli Weber

グッドウッド

1802年、第3代リッチモンド公爵、チャールズ・レノックスは老後を過ごすチチェスターの別荘の整備をおこない、別荘北側の丘に競馬場を新設した。チチェスターは、英仏海峡と景勝地サウスダウン国立公園のほぼ中間に位置している。この競馬場は現在も使われ、2歳馬の重賞レース、リッチモンドステークスなどの舞台となっている。9代目公爵であるフレデリック・チャールズ・ゴードン・レノックスは車好きで知られ、1948年にモータースのために、グッドウッド・サーキットを開場した。  

ここグッドウッドが世界中に知られるようになったのは、マーチ卿として知られる現当主、第11代リッチモンド公爵チャールズ・ゴードン・レノックスが、祖父が残したサーキットを復活させ、スタイリッシュなイベントを開催したからだ。はじめてのレースは、1948年9月に開催され、500ccクラス(後にフォーミュラ3となる)で、スターリング・モスが優勝している。1966年まではレースが開催されていたが、コースレギュレーションの変更にともない、これ以降はレースでは使用されなくなっていた。

第10代公爵はモータースポーツに関心がなかったが、息子のマーチ卿は、1993年6月にフェスティバル・オブ・スピードを企画、瞬く間に人気イベントに育てあげた。1998年からは、かつて、ここでレースした1948年から66年に製造された車に限定したイベントとしてリバイバル・ミーティングが加わり、どちらも細部まで手を抜かない企画と英国上流階級流のホスピタリティで、今や世界で最も有名で人気のあるクラシックカーイベントのひとつになっている。



復活

2019年9月のリバイバル・ミーティングまでは、それまでと変わらず、競馬場とサーキットに多くの観客を迎えていた。パンデミックとそれにより生じたロックダウンによって、英国中の多くのイベントとホスピタリティ・ビジネスが大打撃を受けた。フェスティバル・オブ・スピードの会場となる、グッドウッドハウス前の草地では羊が草を食み、閉じられたゲートの奥のサーキットは不気味なほど静まり返った。マーチ卿は、グッドウッドの歴史の中でも最大のピンチとも言える時期をどのようにして乗り越えたのだろうか。



「かなりチャレンジングだったが、それにもかかわらずファンとクラブメンバーが非常に協力的だったことは大きな励みとなった」と彼はいう。

パンデミック

彼の車とスピードへの愛は、まさしく祖父フレディ・マーチ卿から受け継いだものだ。祖父は、ベントレーで見習いとして働いている時にブルックランズのダブルトゥエルブにMGで参戦して優勝し、そして領地内にサーキットを作った。

「祖父は私が学生のころ、素晴らしい絵や写真が載った車の本を贈ってくれた。これらが、設計とエンジニアリングに対する私の興味に火をつけた。1966年に彼がサーキットを閉めると決めた時には、とても困惑したことを覚えている」  

父親である第10代リッチモンド公爵を手伝い、領地を継承するためにグッドウッドに戻るまで、マーチ卿はロンドンで広告写真家として成功を収めていた。 

「最初の車はモーガンのスリーホイーラーだった。次はダットサン・チェリー。しかし、フォトグラファーとして成功したことで、最初のエキサイティングな車としてポルシェ924カレラGTを手に入れることができた。それ以来、ポルシェの大ファンだ。車はコレクションしないが、1938年のAC16/80は所有している。これは祖父がワンオフしたもので、最も美しいブリティッシュスポーツカーの1台と評されている。

もう1台、ランチア・アウレリアB20クーペも所有している。祖父は、ロンドンのバークリー・スクエアでランチアのディ ーラーをやっていたことがある。だから、フェスティバル・オブ・スピードの20周年でこれが売りに出されたとき、自分へのプレゼントで購入した。黒の外装にライトグレーのインテリアというカラースキームも気に入っている」

血筋



父親から領地を継承した際、彼はグッドウッド・サーキットでのレース復活を決心したが、それを成し遂げるには数年を要した。まずサーキットではなく、グッドウッドハウスのあるパーク内のプライベートロードを解放して開催するモータースポーツ・イベントを思いついた。こうして1993年の6月、ヒルクライムを中心とするフェスティバル・オブ・スピードがスタートした。その後、チチェスター地区協議会と の複雑な交渉と、大きな投資をおこない、5年後にサーキットが復活した。

「サーキットの復活は夢だったが、それは何年にもわたる計画と交渉を要する大きな挑戦だった。最後には、騒音規制のない5日間のレース開催許可を取り付け、1948年から66年にレースをしていた車のためのリバイバル・ステージと、それ以外の車によるメンバーズ・ミーティングの開催が可能となった」

2021年フェスティバル・オブ・スピードのテーマは、前年に予定されていた"ザ・マエストロ:モータースポーツの偉大な万能選手たち"を持ち越した。 

「昨年中断されたすべてを再開するつもりだ。すでに、元F1ドライバー、ロジャー・ペンスキーの参加が決定している。実は何年ものあいだ説得していたのだ。彼のドライバーとしての、またチームオーナーとしての業績は偉大だと思う。マリオ・アンドレッティも欠かせないが、おそらく他の偉大なドライバー達とともに来てくれると思う」  



「ゲートは再び開放され、18カ月間、モータースポーツとほとんど関われなかったファン達を迎え入れる。チーム、マニファクチャラー、ドライバー、ライダーの思いは同じ。すなわちコースに復帰しベストを尽くすだけだ」  

今年は従来の巨大なディスプレイに代わり、スマートフォンを使った仮想空間となった。これは時代の流れである。来場者の大部分は、昨年キャンセルされた延期チケットで来場した。

挑戦

2020年シーズンは壊滅的だったが、それにもかかわらず、2020年10月、マーチ卿は実はひっそりとイベントを開催して多くを驚かせた。彼自身によれば、”グッドウッド・スピードウィーク”は、外出を禁止された在宅のファンたちに向けてオンラインプログラムを提供し、収入の減少を補うという、いささかリスキーで大胆な実験だった。

「難しい決定だったが、私たちはまったくイベントのない一年間を経験し、25年をかけて築いてきたビジネスにとっては痛手だった反面、多くの観客を動員できた点で、スピードウィークはグッドウッドを存続させたと思っている。オンラインとTVの反響は信じがたいほどだった。30時間以上のライブストリーミングを流し、ITVで全3日間のライブ配信をおこなった。オンデマンドのビデオ配信は世界中で6700万人が視聴し、デジタルオーディエンスのためのイベント開発について、多くを学ぶことができた」  



マーチ卿は、グッドウッドにとって重要なことは単純にビジネスではなく、また単に領地を維持することだけでもないと考えている。グッドウッドは600人以上を雇用し、モータースポーツイベントはビジネスの中心であり、強力なパートナー関係を多くの世界的企業と25年以上にわたり構築してきた。マーチ卿はまたドライバー、ライダー、チームオーナー、そしてビジネス上のパートナー達のために両イベントの期間中に印象深いパーティを企画した。これの招待状は誰にとってもとても貴重なものとなった。

「こうした機会を作り出すことを常に考えていたんだ。人々に思い出深い一夜を与えることができたと思う。グッドウッドハウスのチームは素晴らしい仕事をしてくれた。ゲスト達に素晴らしい食事を提供し、フェスティバル・オブ・スピードの土曜夜のオフィシャルパーティでは、1500人をもてなした。たくさんの花火や素敵な生バンドも入れ、可能な限り最高の雰囲気を作り上げることで私自身も楽しんだ」

「常に細部にまでこだわって作り上げることが違いを生むと信じている。ここ数年で、たくさんの素晴らしい友人となった重要な人物、子供の頃のヒーロー達、スターリング・モスと会う特権を得た。スターリングはジョン・サーティースとともに初めからフェスティバル・オブ・スピードのパトロンで、二人とも大きな助けになった。世界は常に、しかも急速に変化している。化石燃料から決別しようとして電気自動車への移行を急いでいるメーカーの場合は特に、だ」

「フェスティバル・オブ・スピードのヒルクライムでの最速記録は、電気自動車が樹立した。フォルクスワーゲンのEVレーシングカー"ID.R"は、ここで20年続いた記録を1.7秒の差で破り新記録を樹立した。しかしもちろんV12、V8の偉大なレーシングカーのエンジンノイズとドラマを待つ観客がいることも知っている」  



この夏のフェスティバル・オブ・スピードには、大きな展示スペースと容赦なく前進するテクノロジーと人工知能の実演をおこなう、フューチャーラボ(未来研究室)が登場した。これはほんの数台のヒストリックカーとバイク、およびセントラルフューチャーにディスプレイされたアストン・マーティンDB7で始まったイベントがコンテンツをアップデートし続けていることを表すものだ。  

フェスティバル・オブ・スピードとリバイバル・ミーティングの主役は常に車、モーターサイクル、およびそれらを駆る偉大なドライバー/ライダー達だとマーチ卿は言い切る。 

「それこそがドラマであり、スペクタクルであり歓声の要素といってもいい。リバイバル・ミーティングは、我々が愛するヒストリックカー達がいかにして生き残ったかを示し、リペア、リサイクル、リユースの必要性をアピールしている」  

フレディ・マーチ卿がモーターレースをグッドウッドに持ち込んでから70年以上が経っている。2021年、彼の孫は領地の長い歴史の中で最もチャレンジングな時期に情熱の存続を守る務めをおった。挑戦を好む現当主によるフェスティバル・オブ・スピードは、2021年7月8日~11日に開催された。

編集翻訳:小石原 耕作(Ursus Page Makers)

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