気づいたらクラシックカーになっていた!?|とあるドラマーと、憧れのエスプリ

Photography:James Elliott

36年前、ドラマーのピーター・ボイタは、夢のロータスを手に入れた。

人生のほとんどの場面で、ドラマーという私の職業によって私の車の選択肢は決められてきたようなものだ。興味をそそる車を所有すること自体は自由だったが、さまざまな道具を積み込む必要があるため、いろいろな制約があった。『トップ・オブ・ザ・ポップス』等のTV番組のオーケストラからエルトン・ジョンのサポートまで、私は1960年代からドラマーとして活動してきた。私が参加していた『フックト・オン・クラシックス』をご存知だろうか?スタジオ入りできなかったバンドメンバーの代役を私が努めた曲に、多くの大ヒット曲がある。でも残念ながら、代役の私の名前はそこには載っていない。

ほんのちょっぴり想像力を働かせれば、ミニ、ロータス・エラン・スプリント、ロータス・エラン+2、MGメトロ等にだって、ドラムセットを載せることができる。私の“詰め込み”の傑作としては、リライアント・シミターGTEに完璧に載せられたことだった。それに、125ポンドで買ったシムカ・1100のバンも、見た目は劣悪だったがマシンとしては優れていたと思う。

1985年後半に、ロンドンでの『レ・ミゼラブル』のドラマーのオファーがあった。給料はひどいものだったし、この演目はそう長くは続かないだろうと思っていた。しかし、元ダンサーだった私の妻のアンには先見の明があった。その後、この劇はなんと25年間も続くことになる。彼女が正しかったのだ。

1980年代初頭は仕事もずっと好調で、新しい演奏方法を取り入れることもできた。夜中にリン社のドラムコンピューター2台でプログラムを作り、翌日にセッションで3回ほど演奏し報酬を得る、といった感じだ!

そんなセッションや『レ・ミゼラブル』の仕事をしている間、ドラムセットは劇場に保管してもらえた。おかげで、私は出かけたり、くだらないものを買うこともできた。さらにそのおかげで、ロータス・エスプリを購入できた。昔から大のロータスファンだったし、ジェームス・ボンドのファンでもあったし、なので当然かと…

映画『007/ユア・アイズ・オンリー』に登場したことでも知られるエスプリ・ターボ

以来36年間で2019マイルしか走行しておらず、今も限りなく工場出荷時に近い姿のままだ。ひとつだけ違うのは、エグゾーストマニフォールドが、適切な湿度環境にいたにも関わらず腐食していることだ。助手席のサンバイザーのヴァニティーミラーに適当に貼ってあるマスキングテープもそのままだし、バッテリーもオリジナルの純正品だ。この車に何か不具合があるとしたら、それは1985年の納車時からあったということになる。

皮肉なことに、その走行距離の少なさがこの車の特徴になってしまったが、本来そうしたかったわけではない。この車は本当に特別なので、私達はこの車を使った旅はパーフェクトなものであってほしかった。なので、気分の良い日に素敵な場所へ行くためだけのドライブにしか使わなかったのだ。整備などは、南ロンドンからほど近いグッドウッドの会場近くのマイルズ・ウィルキンズのところにお願いしていたが、それがこの車での最長距離の走行だったろう。ご想像通り、所有者の観点からすれば、この車の調子はずっと順調で、毎年の定期点検以外の費用はほとんど掛からなかった。

この車が、低走行でオリジナル仕様という、いかに特別な車になっていたかということに私達が気づいたのは、つい最近のことだ。その後すぐに「96 Club」に参加し、「ベルグレイヴィア・コンクール」では“最オリジナル賞”を受賞した。その賞は、女優ジョーン・コリンズ本人から授与された!今年はロンドン・コンクールにも招待され、このエスプリを披露することになった。参加者の方々が異様に驚愕する様子を目撃してはじめて、現代における私のエスプリがいかに比類なき存在であるかを、本当の意味で理解したのだった。

他にも、私は1972年のロータス・エランを1987年に購入しており、各種コンクールにも展示した。しかし、エスプリはまさに別次元だった。走行距離や車の状態に影響しないよう気を配りながら、私達はこれからも今までと同じように乗り続けるつもりだ。旅に出たり、さまざまな出来事を経験することがなければ、こんな車を持っていても意味がない。しかも、飽きたりストレスを感じることもない。人生と同じ、といったところだ。

へセル工場でのロータス・エラン製造風景


Interview and photography James Elliott

オクタン日本版編集部

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