ル・マンの歴史的名車が「ザガートボディのポンティアック・プロトタイプ」として売りに出されていた!?

Theodore W. Pieper ©2021 Courtesy of RM Sotheby's

2011年初めに、アメリカ・フロリダ州タンパの小さなオンライン広告欄に「試作段階のザガートボディのポンティアック・プロトタイプ」と書かれた情報が掲出された。しかしこれはポンティアックではない。



この車両は1960年シボレーコルベット(シャシー3535)で、アメリカのモータースポーツ史の中でも非常に重要な意味をもつ。コルベットの初代チーフエンジニアを務めたゾーラ・アーカス・ダントフの勧めにより、ブリッグス・カニンガムが1960年のル・マン24時間にエントリーした3台のコルベット、つまり#1(3535)、#2(4117)、#3(2538)のうちの1台で、このマシンは1号車にあたる。



1960年ル・マン24時間に出走


1960年のル・マンで1号車はカニンガムがハンドルを握ってレースを開始し、他の2台のカニンガム・コルベットとともにヨーロッパ勢と競っていた。しかし、午後6時頃に大雨が降り始め、多くがピットインして調整を余儀なくされた。1号車の最初のドライバー交代もこのタイミングでおこなわれ、ビル・キンバリーがハンドルを握り、新しいタイヤを装着した1号車はピットを出る。キンバリーはダンロップで車を素早く駆り、ミュルザンヌストレートを下り、ミュルザンヌコーナー、インディアナポリス、アルナージを慎重に曲がった。最初のラップが終わろうかというころ、彼はメゾンブランシュコーナーで1号のコントロールを失い、スピンした。そして2度横転し発火したのである。キンバリーにとって幸運なことに、車は右側を上にして着地したため、彼は無傷でこのクラッシュから逃れることができた。3535は車両火災でエンジン点火ワイヤーが溶け、わずか32周でリタイアした。

そのレースでは、ジョン・フィッチとボブ・グロスマンがドライブしたカニンガム・コルベットの3号車が、大排気量のGTクラスで勝利を飾るとともに、総合8位でフィニッシュした。

ル・マン後の3535


ル・マンの後、3台のカニンガム・コルベットはアメリカに戻り、アルフレッド・モモによりエンジンがGMのフランク・バレルに戻された。その後、3台はニューヨーク州ロックビルセンターのカニンガムの仲間であるビル・フリックに渡され、車はフロリダで販売されることになった。兄弟車とは異なり、シャシー3535はすぐにフロリダ州デルレイビーチの別のカニンガムの友人、SCCAレーシングドライバーのマーシャル「ペリー」ボズウェル・ジュニアへと売却された。ボズウェルは、エンジンとハードトップを除いて、「レース時のまま」の車を受け取った。ル・マンのラウンデル(註:丸いゼッケンのようなもの)でさえ、まだそのままの状態だった。

ボズウェル家に残る歴史的な画像からは、レースカーから、贅沢かつ合理化されたロードスターへの変化を見ることができる。フロントエンドは初期スタイルのシングルヘッドライトフェンダーに置き換えられ、ボズウェルのデザインによるユニークなザガート風グリルが装着された。フードには小さなセントラル・スクープが設けられた。リヤエンドにはほとんど手が加えられなかったが、ストックデザインの特徴であるサイドストレーキは埋められた。最終的にボズウェルは全体を黒く塗装し、幅広のホワイトウォールタイヤを装着したクロームタービンホイールに固定した。



1966年頃のある時点で、ボズウェルはもはや“偽装”された状態の元ル・マン レーサーを売却する。歴史資料によると、車は何人かの地元オーナーのもとを通過する間に緑に塗られ、その次は黄色くペイントを施されたりしたあと、1971年にジェリー・ムーアのもとへ到着した。ムーアは1974年に車をダン・マティスに売却。その後、この車は世間から姿を消し、37年間ひっそりと息を潜めていた。



1993年、ニューヨーク州バレーストリームのコルベット・レストアラーであるケヴィン・マッケイは、フランスの連絡先を通じて1960年ル・マン24時間レースを戦った3台のカニンガム・コルベットすべてのシャシー番号を入手することができた。これは、この3535コルベットを含む3台すべてのカニンガム車の身元を確認するうえで、最終的に非常に重要な情報である。

3535再発見のきっかけ


冒頭に記したように、2011年初めにタンパの小さなオンライン広告欄に「試作段階のザガートボディのポンティアック・プロトタイプ」と書かれた情報が掲出された。記された低価格から、この車の貴重な歴史的な価値には気付いていないことがわかる。売り手のリック・カーは、最近亡くなった父親のホン. リチャード・W.・カー Srの財産整理をしていた。リックは父親の倉庫の片隅に、カバーもかけられずに放置されていた車体を発見した。カニンガム・ル・マンのエントリー車両であったことは、シャシー番号の調査を開始するまでカーは知る由もなく、カニンガムのヒストリーを調査しているラリー・バーマンと出会うことにより、彼は自分が非常に特別な車、#1カニンガム ル・マンエントリーを所有していることを知った。



「発見されたままの」状態の、このユニークな車両は、元オーナーのボズウェルが苦労して外観を変更したにもかかわらず、レース史の決定的な証拠を依然として示している。ホイールウェル内では、特注のインテークダクトが車のオリジナルのレース仕様のドラムブレーキからキャビンのフットウェルまで続いている。追加のワイヤーハーネスは、ル・マン参戦時に運転席側のラウンデルライトに電力を供給していた場所から未だにぶら下がっている。



特大の燃料タンクはキャビンの後ろに残っている。アンダーボディには、オイルクーラーなどの追加コンポーネントの取り付け箇所を示すものと、かつて25万人近くのフランス人の群衆がそのサウンドに酔いしれたサイド出しのレース用エグゾーストのカットアウトも同様に残っている。フロントガラスの前にあるル・マンで使用されたセンター・ワイパー用の取り付け穴は、この車両の初期識別を可能にする重要な機能だ。









エンジンベイには、1970年モデルの350立方インチのシボレーV8エンジンを搭載。しかし、ダントフのリモートスターター用のマウンティングプレートはファイアウォールに固定されている。元のル・マンのカラーリングの痕跡は、後から施されたペイント層の下に見ることができる。センターコンソールには元のブルーの仕上げが部分的に保持されているのがおわかりいただけるだろうか。







カニンガムの#2と#3コルベットは1960年のル・マン当時の栄誉ある姿にレストアされつつある。この3535の1号車も、もちろん同様に扱われるに値する。3535のレストアプロセスのために、ケヴィン・マッケイは、3535が再び世に出てくる日に備えていた。#3コルベット(2538)の復元に着手する際、注意深く記録を取っていたのだ。彼は、車を時代に合ったレーシングトリムに戻すために必要なコンポーネントの大部分を集めたと報告している。この車両の販売には、C1コルベット ル・マン プログラムの開発に関する文書のコピー、テストデータ、通信、歴史的画像、ル・マンでのレジストレーションといった重要な履歴ファイルが含まれている。

これは今まで一般に提供されたコルベットのなかでも最も重要なうちの一台であることは間違いない。世界のモータースポーツの舞台で、アメリカの気概を証明するためにブリッグス・カニンガムが果たした強固な努力の証である。1960年にル・マンで果たした役割により、「アメリカのスポーツカー」としてのコルベットの評判を確固たるものにしたのだ。


編集翻訳:オクタン日本版編集部 写真:Theodore W. Pieper ©2021 Courtesy of RM Sotheby's

この車両は2021年5月22日にアメリカ・フロリダで行われるRMサザビーズの「アメリア・アイランド・オークション」に出品される。
https://rmsothebys.com/en/auctions/am21/amelia-island/lots/r0014-1960-chevrolet-corvette-lm/1028272#

編集翻訳:オクタン日本版編集部 写真:Theodore W. Pieper ©2021 Courtesy of RM Sotheby's

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