戦前の英国で購入できた最もエキサイティングな車のうちの1台!


 
ラゴンダは1906年、スコットランド系アメリカ人ウィルバー・ガンによって設立された。1920年代に、それまでの自製の2リッターエンジンに替えてメドウス&クロスレー社からエンジンの供給を受け、よりパワフルな排気量の大きな"メドウス"4.5リッター直列6気筒ユニットを導入した。同エンジンは、インヴィクタのほかヴィッカース製の戦車にも使われていたもので、ラゴンダM45ラピードは1935年のル・マンで優勝を果たす。この時代、国際レースでの好成績は販売を押し上げるものだが、ラゴンダの業績不振を挽回するには遅すぎ、ル・マンに勝ったその月に経営破綻し、管財人が選任された。ロールス・ロイス社なども買収に興味を示したが、結局、最高価格を提示した29歳の弁護士、アラン・P・グッドが買収に成功した。

新社主となったグッドは、ロールス・ロイス社内で閑職に追いやられていたW.O.ベントレーをテクニカル・ダイレクターとして招聘。ルーツ出身で経験豊富なディック・ワトニーを社長に据え、のちにアストン・マーティンでDB3Sをデザインすることになる、若く天才的なフランク・フィーリーをデザイナーに採用し、新生"LGモータース"を登記する。当初の再生戦略は、1939年にW.O.設計のV型12気筒エンジンが完成するまでの“"繋ぎ"として、メドウス製4.5ストレート6エンジンを搭載した高級車を少量造り、ラゴンダをさらに上級マーケットに持っていくことだった。



すべてのラゴンダが高級車だったが、中でもLG45ラピードは別格だった。登録ナンバー"BYG7"、シャシーナンバー"12335/G10S"は、25台だけ生産されたうちの14番目のLG45 ラピードで、24台が現存している。新車価格は1250ポンドだったが、これは当時のロンドンで3軒のテラスハウスが買えた額だ。ヘンリー・メドウスから供給された定評ある4.5リッターストレート6ユニットは、W.O.によってメインベアリングの強化などの改良が加えられたほか、ハリー・ウェスレイク設計のシリンダーヘッドでチューンしたラゴンダのスペシャル・ユニットだ。

面白いことにウェスレイクがモディファイしたエンジンをラゴンダで最初にテストした際には、合格できなかった。ウェスレイクが要求した20馬力の増加が示されなかったからだが、その理由は、ラゴンダが持ち込んだエグゾーストパイプが、古いオイルと煤で詰っていたためだった。これは、当時のラゴンダの工場がいかに悪い状態だったかを象徴する事象といえるだろう。


シャシーナンバー12335/G10S がヒュー・ディクソン・カーに納車されたとき・・・次回へ続く

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers) Transcreation:Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers) Words:Mark Dixson Photography:Jordan Bulters

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