皆の想いと共に走る 北京-パリ・モーターチャレンジに挑戦する日本人女性ドライバー



ミッレミリアへの挑戦と並行して、こもちゃんは北京-パリというラリーの存在を知る。「出てみたい」という純粋な気持ちは、そのまま現実の目標となった。ミッレミリアを観にイタリアへ出向いたように、思いをすぐさま行動に移す彼女は2019年の第7回大会のスタートを観に北京へと飛んだ。実際にスタートシーンをその目で見て、決意はさらに固いものとなる。北京- パリは3 年ごとのイベントであるため、次回は2022年の開催だ。そのタイミングを逃すと次は2025年になってしまう。こもちゃんは2022年大会に照準を合わせ、手探り状態ながらとにかく前へと進んでいくことにした。


 
意思あるところに道は開けるとはよく言ったもので、目標として周囲に宣言することで人の輪も次第に広がっていく。見学に行った北京のスタート会場で知り合った日本人からの縁で、北京-パリ参加経験があるイギリス在住者へと繋がり、北京-パリのエントラント向け説明会のために渡英したときにはその人の家に泊めてもらったのだとか。
 
しかし2022年大会へのエントリー希望を送るも、主催者からは色よい返事がない。あきらめることなく熱い想いを伝え続ける一方で、参加する予定の車両をイギリスで入手し整備を並行して行っていた矢先、その車両ではエントリー不可との知らせが届いた。過去に北京- パリに出場した車でないとエントリーができないという。急遽、条件を満たす車両(1929年ビュイック・ドクターズ・クーペ、5100cc )を手配し、この車両で参戦すると申請することで無事にエントリーが受理された。
 
エントリーが受理されたからといって万事うまく運ぶわけではない。むしろここからが冒険のはじまりだ。北京-パリにはサポートカーやメカニックの帯同は許されず、メカニカルトラブルもすべて自分たちで対応する必要があるため、整備の知識も学ばなければならない。そのため2019年のラ・フェスタ ミッレミリアにはあえてサポートカーの助けを借りずに出場することにした。土砂降りの悪天候の中、メンテナンスも自分たちで対応しながらこのラリーを完走できたことは、北京-パリへの大きな自信に繋がったという。

文:湯淺央子(本誌) イラスト:あべ あつし Words:Chikako YUASA(Octane Japan) Illustration:Atsushi AVE 

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