イタリアのエッセンスが注ぎ込まれた日本製スポーツカー

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この流麗な車のエンブレムをひとたび外されると、メーカーも生まれも見当がつかなくて非常に困ってしまう。すっかり忘れ去られたいすゞ・117クーペは、若きジョルジェット・ジウジアーロが手がけ、イタリアのエッセンスが注ぎ込まれた日本製のクラシックカーである。 果たして、イタリア+日本=完璧な組み合わせなのだろうか?

この車はいすゞ・フローリアンと並んで、トリノに本拠地を置くカロッツェリア・ギアによって開発され、1966年のジュネーヴ・モーターショーで初めてお披露目された。 1968年までにほぼすべてハンドビルドで、年間約1000台の限定生産が開始された。

純然たるスポーツカーではなく、スポーティなGTカーというコンセプトは非常にコストがかかるアイデアだった。 2+2シートは実用的で、ダブルウィッシュボーン式フロントサスペンションとリアのライブアクスルは、(おもしろ味はないにせよ)適切にセットアップされている。

当初の120馬力 1.6リッターツインカム4気筒エンジンを搭載したモデルに加え、1970年には新しいECモデル(電子制御モデル)がラインナップに入れられた。ECモデルの117クーペはロードカーとしては日本で初めて、ボッシュ製の電子制御ユニットを搭載しただけでなく、1.6リッターにしては上出来な130馬力までパワーを底上げすることに成功している。また、オプションとして同時期に廉価版の1800シングルカムが2バージョン追加された。

残念ながら、売り上げは最初の4年間は低迷していたが、117クーペは高級パーソナルカーを求める人々の間で需要を獲得した。 1972年にGMがいすゞに多額の投資をしたことがきっかけとなり、117を取り巻く環境に大きな変化が起こる。1年後の1973年3月には生産ラインが増加、特にボディパネルの年間生産数は10倍に跳ね上がり、一方でスケールメリットによって多方面でコストが削減されるという好循環が生まれた。 大きくなったフロントライトとリアライト、新しいリフレクターとグリル、そして分厚いバンパーなどは、この時期に117が大きく変更された点だ。 また、すべてのモデルで1.8リッターエンジンが採用された。

発売から10年が近づく頃、60年代の風情が漂いはじめていた。1977年の大幅なモデルチェンジにより問題点が改善され、プラスチック製のバンパー、新たなノーズとプジョー504クーペスタイルの四角いヘッドライトが導入された。

ますます仕様の変更は進み、厳しい排出ガス規制に沿った出力レベルを維持するため、1978年にはツインカムエンジンが2.0リッターに拡大された。 5段ギアボックス、4輪ディスクブレーキ、パワーステアリングを搭載したスポーティなサスペンションのセットアップによって、117の能力は存分に引き出され、競争力を維持していく。また最上位機種には差動制限装置が内蔵された。

いすゞは、続けてディーゼルエンジンを搭載したXDと、数種類のスペシャルエディションをカタログに投入する。この特別仕様車は、ジウジアーロ・エディション以降では最も人気のあるモデルである。イタリアとの縁を非常に大事にしていたいすゞは、1981年に待望の後継車であるピアッツァを、イタリア人デザイナーと共に生み出す。


文:Octane UK 訳:オクタン日本版編集部

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