復活までの時間と愛情 長いこと忘れ去られていたランチア・プリズマ

写真: Ruote Leggendarie (Gaetano Florio)

長いこと忘れ去られていたランチア・プリズマの物語は、昔感じていた運転の醍醐味をずいぶんと感じられなくなった頃に、プロジェクトカーを探すことから始まった。たくさんのモーターショーを見たり、古い車がかつての栄光を取り戻すようにレストアされるのを見ていたら、いつのまにか私も探究心に駆られていたのだ。

私のイタリアンクラシックカー好きは、父の友人で上司でもあった人がアルフェッタ・セダン・クアドリフォリオ・オーロを買ったときに始まった。機会があるごとに洗車をかって出た。そうすることで、イタリア車を運転するのがどんな感じなのか体験できたのである。

私の父もクラシックカー好きで、V8エンジンのフォードやホールデンズ(GM)が流行っていたオーストラリアに住んでいる間に、多くの車を売り買いしていた。私はアメリカンクラシックカーのV8エンジンが放つ音と見た目が好きだった。まだ若すぎて、それらをヨーロッパのセダンのようには乗りこなせないことを理解できていなかったのだ。1984年に私の一家はイタリアに戻った。そしてそれは始まった・・クールなハッチ、セダン、スクーター。免許を取得してすぐにアウトビアンキA112アバルトを手に入れ、とても気に入っっていた。パワーのある小さなハッチバック・・でも、それはまた別の話だ。イタリアで2年過ごし、フィアット127、アルファ・スッド、ランチア・フラヴィアなど多くのメーカーやモデルを運転した後、いつか自分が運転したいという車が何なのか分かった。それにしても、その頃はといえば、フェラーリ288GTO、ポルシェ959、アルファ75、フィアット・ウーノ・ターボ、ゴルフGTI、205GTI、ルノー5ターボ、それに有名なランチア・デルタなど多くのモデルが発表されていた。なんという時代だったのだろう。

1986年にオーストラリアに帰ってすぐに最初の車を購入した。日常使い用のフィアット128、4ドアのセダン。それから1988年には最初のアルファとなる、1979年製のアルフェッタ セダン2リッターを手に入れた。これが私がレストアの世界に足を踏み入れる最初の試みで、イタリア製エンジンの世界への第一歩となった。



30年後、1990年式ジュリエッタ、75年式3台、164、90、156、147など多くのアルファとその間にほかのメーカーやモデルを所有したが、新しいチャレンジが必要だった。ネットを使って、古いイタリアのクラシックカーでレストアするのに手頃なものがないか探し始めた。多くの車が見つかったが、中には価格がとんでもなく高く、予算外のものもあった。その中で気になるものがあった。それこそが、オーストラリアで売りに出されているランチア・プリズマだった。

文 : Ruote Leggendarie (Gaetano Florio), 訳 : 古川浩美  写真: Ruote Leggendarie (Gaetano Florio)

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