人生を謳歌するのにうってつけ 美しい「トランスフォルマビレ」

Max serra


 
ベリベの依頼でレストアが始まると、さらなる発見があった。「何十年も経っていたが、右フロント内部のエアインテークがつぶれたままで、1962年から修理を受けていないことが分かった。そこはホイールアーチの下に隠れて外からは見えないんだ。監督のリージは、映画のラストで崖から転落する車はアウレリアではないと回想している。高い金を払ったから破壊することなど考えられなかったんだよ。実は、フィアット1100をベースにしたダミーだった。カスティリオンチェッロ(クラッシュシーンの撮影場所に近い海沿いの村)のメカニックのものだ」
 
制作会社はアウレリアを2年ほど所有していたが、1964年5月に、書類上は10万リラで売却した。その後、1965年にシチリアで登録され、イタリア国内をさらに3度転々としたあと、1986年にミラノ近郊に落ち着いた。1992年に法律が変わり、イタリア車は登録の地域外に売却されてもナンバープレートの変更が不要になった。したがって今もミラノのナンバーは生きているが、ベリベは映画に登場したローマのナンバープレートのレプリカを所有している。 



ベリベはアウレリアとの出会いをこう振り返った。「車を自分の目で確かめにいったのは2001年10月21日だ。そのとき初めて、売りに出ていたのが映画で使われたアウレリアだと知った。その証拠に、車両登録証には古いローマのナンバーと制作会社の名前が記されていた。私たちは値段について少し話し合うと、包装紙の切れ端に契約書を書いた。50年間、専門的なレストアをした者がいないのは、車を見ただけで明らかだった。古いが走行可能なしっかりした状態で、オリジナルパーツがすべてそろい、塗装が何層も重なっていた。実際、フィレンツェにあった1970年代末に白にペイントされて、ミラノで登録したときに正しい色に塗り直されたんだ」



「ボディの作業を始めると、予想どおり、その3色の層が見つかった。車はオーバーヒートぎみで、ギアボックスはかなりうるさかった。ケーブルが劣化していたので電気系統をリビルドし、サスペンションもリフレッシュしたし、もちろん塗装を剥がしてベアメタルの状態にした。フルレストアだよ」
 
以来、アウレリアは約700kmしか走行していない。しかし、あの映画を記念する重要なイベントには何度も顔を出した。今や映画スターの暮らしを送っているわけだ。そして、手術を受けた多くのスターと同じように、時の流れに反旗を翻し、1962年の撮影当時より美しく光輝いている。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻訳:木下 恵 Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) 

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