フェラーリのパトカーでカーチェイスを繰り広げていた!映画のような日常

Photography:Tom Gidden

この記事は『悪党を捕まえるのに必要なものはフェラーリ ?! パトカーだった一台の物語』の続きです。

250GTEの最高速度230㎞/hに対応できるよう、1962年12月には、選抜された4人の警察官、ダルマティーオ・デ・アンジェリス、ジュゼッペ・サヴィ、カルロ・アニッキアリーコ、そしてアルマンド・スパタフォーラはハイスピード・トレーニングのためにマラネロに派遣された。インストラクターは元レーシングドライバーでフェラーリのR&D部門で働いていた、ロベルト・リッピだった。その時の様子をリッピはこう振り返っている。


「スパタフォーラは素晴らしい人間性の持ち主でした。とても速かったし怖気づかなかったですね。ちょっとしたトレーニングで車をよりスムーズに扱うよう慣れてもらうことと、車への"いたわり"を学ぶ必要があったくらいです。サーキットだけでなく、公道でもトレーニングをおこない、実戦に近い状況を再現したものです。ある日、2台のフェラーリでボローニャからフィレンツェを抜けアペニンの高速道路でカーチェイスをしていたところ、警ら隊に捕まってしまいました。それもパトカー2台で高速道路を封鎖されたんです」


 
スパタフォーラは1987年2月に長く充実した人生に終止符を打った。愛娘が執筆した『警察官とフェラーリ』から、スパタフォーラがその車をしっかり覚えていたことがわかる。「フェラーリは異次元の車でした。それまでの警察車両はアルファ1900、運がよければアルファ2600でしたが、追跡しなければならない車よりも時代遅れで、遅かったのです。たしかにフェラーリは街中のでこぼこ道を走ることこそ不得意でしたが、すべてを満たす車など存在しません」と書き残している。
 
特殊部隊スクアドラ・モビリのために2台のフェラーリが製作されたという説があるが、イタリア警察のアーカイヴにその事実はない。フェラーリ250GTE"3999"のステアリングをスパタフォーラが握ったのは、3999が警察車両として退役するまでの6年間だった。ノーマルの250GTEと警察車両との違いを列挙すると、ダッシュボードに収められた警察無線、ルーフに設置されたブルーのランプ、ボンネット内に据えられたサイレン、そして、これらの装備を操作するためのスイッチ類くらいだった。" 3999 "からの無線発信に使われたコードは「シエナ、モンツァ、44」だった。シエナ(Siena)の「S」はスクアドラのS 、モンツァ(Monza)の「M」はモビリのM 、44はナンバープレートの下2桁に由来している。

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)  Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Massimo Delbò Photography:Tom Gidden 取材協力:Girardo(girardo.com )

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