ナカムラエンジニアリング物語 第2章│もう一台のテスタロッサとの運命の出会い


 
しばらくのち、なかなか仕上がってこないことに痺れを切らした彼女は預けたショップに突然出向いてみた。そこで見つけたのは変わり果てたケーニッヒの姿だった。何のことはない、修理もそこそこにショップの社長が乗り回した挙げ句、雨ざらしで放ってあった、というのが彼女の言い分だった。
 
ケーニッヒへの彼女の思いはここでプツンと音を立てて切れた。だから売ることにしたのだ。それをナカムラは買った。
 
2台目の愛馬が4トン車で運ばれてきた日のことも、ナカムラはよく覚えている。コンディションの悪さに随分と驚かされたからだ。確かにボディ色はもはや赤とは言えず、熟した柿のようになっていた。車内はゴミだらけで、エンジンルームには蜘蛛の巣が張っていた。試しに12気筒エンジンを掛けてみると、ガラガラガラガラーととんでもない異音を撒き散らし、水を盛大に漏らして白煙を吹き始めた。
 


下ろされた180度V型12気筒エンジン。全体的に薄汚れているのが分かる。徹底的なクリーニングののちに作業に入るというナカムラエンジニアリングの伝統はこの頃からすでに当たり前のことだった。写真からはこのエンジンが作業前か作業後かの判別はつかないが、フルレストアされた後のケーニッヒ・テスタロッサはまるで新車のようだった。

それでもナカムラはポジティブだった。欲しいと思った車だ(事実、その後ナカムラはケーニッヒ信奉者になっている)。自分の手で完璧な状態に戻してやろうと誓った。
 
自分で全てバラバラにした。エンジンをフレームごとおろし、外したフレームまで塗装をはぎ取って、自らの手でサフェーサーを吹き再塗装した。エンジンももちろんバラした。そこでナカムラは確信する。フェラーリのディテールには神が宿っている、と。
 
それほどテスタロッサのエンジン部品はひとつひとつ入念に仕上げられていた。今まで自分が扱かってきた国産車やドイツ車とは月とスッポンの差があった。客のフェラーリを本格的に触り出す前に、ナカムラはフェラーリの隅々までを自ら感じ取ることができたのだった。
 
そうしてフルレストアなったケーニッヒ・テスタロッサこそ日本輸入第1号車で、有名誌の表紙を飾った個体だった。つい数年前までナカムラはこの個体を大事に所有していたが、やむを得ない事情で手放している。
 


クランクシャフトと対峙する30代の中村。彼にフェラーリの整備について手ほどきしたのは、当時、正規輸入代理店だったコーンズの凄腕メカニックだった。師匠を得た中村はすべてを自ら経験した。エンジンをおろし、バラし、ひとつひとつのパーツを手に取って経験した。エンジンから外したリアサブフレームも自分で塗装を剥ぎ、再塗装した。

オリジナルコンディションに戻すことだけじゃない。ナカムラはフェラーリをベースとしたモディファイにも積極的に取り組んでいた。308の改造車を買ってきて288GTO風のレーシングカーにしてみたり、550マラネロをスーパーGT仕様に改造したりもした。フェラーリのことだけを学ぶのでは飽き足らず、フェラーリに関連することなら何でもどん欲に吸収しようとしていたのだ。
 
従業員の数もナカムラを入れて4人になった。次第にフェラーリの入庫が増えてきた。決意してから七年が過ぎようとした頃、ファクトリーがやっと赤く染まり始めた。
 
その光景を感慨深く眺めたナカムラだったが、それはゴールではなかった。むしろスタートだった。もっと高みを目指したい。そのためにはこの工場をフェラーリの似合う場所にしなければいけない。ナカムラはそう決意したのだった。(つづく)


文:西川 淳 Words:Jun NISHIKAWA



株式会社ナカムラエンジニアリング
〒639-1103 
奈良県大和郡山市美濃庄町271番地の13
TEL. 0743-54-6400
https://www.nakamuraengineering.com/

文:西川 淳 Words:Jun NISHIKAWA

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