全開で人生を送ることをよしとした時代│車とレースに夢中になったある紳士の物語

Photography:Thomas Macabelli


 
まずは、彼が購入したモデルについて確認しよう。フラミニアシリーズは1956年にトリノ・モーターショーで発表され、1958年にはクーペバージョンが3種類も登場した。そのため、クーペの販売台数がサルーンを上回った歴史上めずらしいモデルである。V6エンジンは当初は2.5リッターだったが、1963年末から2.8リッターに変わった。
 
標準のフラミニア・クーペはサルーンよりホイールベースが短く、デザインと製造をピニンファリーナが担当。端正なGTはトゥーリングが、曲線美のスポルトはザガートが手がけた。スポルトはホイールベースがさらに短く、後期のスーパースポルトは排気量が拡大し、ヘッドライトが奥に下がった。アルトゥノフが購入したのもスポルトだ。エルコーレ・スパーダがデザインし、ボディはアルミニウム合金製だ。カロッツェリア・ザガートで、スポルトが342台、スーパースポルトが183台造られた。


 
フラミニアは、フロントがダブルウィッシュボーン式、リアがド・ディオン式サスペンションで、4輪にディスクブレーキを備える洗練されたモデルだった。重心は低く、リアにトランスアクスルを搭載して重量配分も優れている。
 
アルトゥノフのスポルト3Cは、ボディと同色のスチール製ホイールに磨き出しのハブキャップを装着していたが、レース出走のため、すぐに取り外された。V6エンジンは、ウェバー製35 DCNLキャブレターを3基備え("3C" はこれを指す)、140bhpを発生。ザガートのトレードマークであるダブルバブル・ルーフにするかどうかはカスタマーに任されており、アルトゥノフは装着を選んだ。このランチアをたいへん気に入って、2018年にイタリアで売却するまで、ずっと手元に置いていた。


 
1960年代、アルトゥノフはフラミニア・スポルトを公道で日常的に楽しんだだけでなく、セブリング12時間レースにエントリーした。オクラホマのオートレーシングクラブのカラーで出走すると、予選で信じられない結果を出した。なんとフェラーリGTやコルベットより約30秒も速かったのだ。残念ながら、決勝はディストリビューターの故障でスタートできなかった。彼のランチアはなぜそれほど速かったのだろうか。アルトゥノフが答えを教えてくれた。「この驚異的な結果は、タイムキーパーのストップウォッチの読み間違いから来ていると思う。おそらく1周30秒のストップウォッチを1分のものと勘違いしたんだろう」

フラミニアはセブリングのあとヨーロッパに里帰りして、ほとんど手を加えられずに数々のレースに出走した。


アルトゥノフが心惹かれたレースは?・・・次回へ続く

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA  Words:Massimo Delbò THANKS TO Edoardo Bonanomi of Automobile Tricolore

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