全開で人生を送ることをよしとした時代│車とレースに夢中になったある紳士の物語

Photography:Thomas Macabelli

このザガートボディのランチア・フラミニア・スポルトは、1963年から2018年まで、ひとりのオーナーの元にあった。この車を愛し、レースをし、徹底的に使い倒したその人に話を聞いた。

とかく現代のコレクターは、値の張る最新のスーパーカーを購入すると、メーカーで受け取り、家までドライブして、バッテリーメンテナンスにつないだら、あとは駐車したまま。時を見て"走行距離はデリバリー分のみ" として購入時より高く売り払う。コレクションした車で走るのが好きなアメリカ人のジム・グリッケンハウスは、そうしたアプローチを、「世界一の美女とつき合いながら、一度も寝ないで、未来の夫を喜ばせている」と表現した。

いっぽう1960年代には、人生の喜びも今とはずいぶん異なり、趣味で儲けようと考える人ははるかに少なかった。当時のGTのオーナーは、大陸を股にかけたチャレンジングな長距離ドライブを楽しみ、全開で人生を送ることをよしとした。そうした人々にとって、車はドライブするものであり、レースをするためのものだった。
 
トーリー・アルトゥノフ(正式にはアナトリー・アルマイセヴィッチ・アルトゥノフ)は、その時代を完璧に象徴する人物だ。アメリカ中西部のオクラホマ州で生まれた彼が、車とレースに夢中になったのは20歳のときだった。1957年にイタリアを旅行中に、最後のミッレミリアを手伝ったのである。それ以来、あらゆるモデルで速度記録を打ち立てた。複数のクーパーMGとアバルト、ブリストル407ザガートやコルベット、ポルシェ356カレラ・スピードスター、数々のフェラーリに、ランチア・ストラトス。ランボルギーニ・ミウラでレースをした数少ない人間でもある。
 
アルトゥノフは、スポーツカークラブ・オブ・アメリカ(SCCA)のメンバーになって50年が過ぎた2008年に、『One Off』という回顧録を著した。レース以外の側面に割いたのはわずか3章だ。一節を引用しよう。「砂糖衣のケーキの上のシロップがけのチェリーの輝き」…話題はご想像にお任せする。
 
1963年3月、26歳のアルトゥノフは、ランチア・フラミニア2.5スポルト3Cザガート、シャシーナンバー824.13.3731を、アメリカのランチア代理店を務める輸入業者のマックス・ホフマンにオーダーした。ボディはグリージョ・メタリッザート(メタリックグレー)、インテリアは赤と黒だった。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA  Words:Massimo Delbò THANKS TO Edoardo Bonanomi of Automobile Tricolore

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