凍ったワインディングを駆け抜ける!軍用車 VWイルティスの乗り心地

この記事は『アウディの四輪駆動の生みの親を訪ねて│本領を発揮するクワトロ』の続きです。

このウィンターテストはいわゆる全車試乗会のようなもので、VWイルティスも持ち込まれていた。試乗するのはエンジニアたちで、当時はアウディのテクニカル・ディレクターのポジションに就いていたフェルディナント・ピエヒも参加していた。それぞれが乗りたい車両を選び、誰も選ばなかったのがイルティスだった。そこでグンペルトはイルティスのステアリングを握り、ほかのエンジニアたちはもっと速い車で走り去っていったという。しかし、雪道のコーナーで悪戦苦闘する仲間たちにすぐに追いついた。イルティスが採用する四輪駆動がもたらす抜群のトラクションを見せつけることになったのである。

 
早速、グンペルトは当時のシャシー・エンジニアだったヨルク・ベンジンガーを納得させ、四輪駆動が市販車にもたらす恩恵についてフェルディナント・ピエヒを説得した。1977年、グンペルトは事前開発部門から離れVWイルティスの開発に専念していた。そこでアウディ80の四輪駆動モデル開発はヴァルター・トレザーの手に委ねられた。



「イルティスにはまだひとつ問題が残っていたんです」とグンペルトは振り返る。センターディファレンシャルを持たないので、ターマック上では操舵が難しかったそうだ。市販車では致命的な欠点となりうる。そうした状況のなか、グンペルトのチームの一員であったハンス・テングラーが妙案を思いついた。トランスミッションの内部に中空のシャフトを設けて前後に駆動力を振り分けるというアイディアだった。中空シャフトの採用により、重いトランスファーケースも2本目のプロペラシャフトも必要としなくなった。これによりホイールベースの長い乗用車でもロックアップの問題なく四輪駆動を実現できた。あとは消費者を納得させるだけとなった。
 
1980年、アウディはパリ・ダカール・ラリーに最高出力110bhpの4気筒エンジンを積んだVWイルティス3台で参戦した。「ラリー経験がなかった私にVWが用意してくれたのは、フレディ・コトゥレンスキーでした。そして、個人的に引き抜いてきたのがジャン・ラニョッティとパトリック・ザニロリでした」
 
コトゥレンスキーは優勝、ザニロリは2位入賞、ラニョッティはレース中に何者かがホイールナットを緩めるという妨害工作に遭ったものの4位入賞を果たした。3台のサービスカーでさえ9位でゴールし、そのイルティスはグンペルトがステアリングを握っていた。



「サービスカーは横転1回、岩に激突してリアのディファレンシャル破損というアクシデントに見舞われました。岩にはもう1回ヒットしてフロントのドライブシャフトを破損したので取り外し、最終的にはフロントのディファレンシャルをロックして1輪駆動でゴールしたのです」と振り返る。

この快勝後、グンペルトはアウディ・スポーツの責任者に抜擢された。クワトロでラリー25勝、4度の世界ラリー選手権チャンピオン獲得という戦績は今日でも輝かしい。

話をオーストリアに戻そう。私がステアリングを握ったのは1981年式のVWイルティスで、生産終了1年~2年前に登場した市販仕様だった。折りたたみ可能なファブリック・ルーフ、取り外し可能な"簡易ドア" がその証だ。ベロアのシートはアウディ100からの流用と言われても信じてしまうほどの質感だ。アルプスの雪道が本当に似合っていて、いかなる状況からも抜け出せそうなオーラを放つ。

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