愛され続けるレカロシートが誕生するまで│サッカーチームにも提供していた?

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ポルシェから始まったレカロシートは今ではちびっこやトラックドライバーにも愛されている。

当時、現在の自動車メーカーの多くはエンジン製造が主体で、車体は車体メーカーが製造していたが、この時代にそれら多くの自動車メーカーがエンジンから車体まで一貫生産を自社で行うようになっていった。それはポルシェに限らず、ダイムラー・ホルヒ、BMWなども同様であった。コンバーチブルや馬具をモチーフとした車体など多くの特許を取得し、車体メーカーの代表格でもあったロイター・シュトゥットガルト車体製造社も、その時代の変化に応じて車体製造のラインをポルシェに売却したのち、世界初となる自動車シート専門メーカーとなった。

第二次世界大戦中、シュトゥットガルトのポルシェ社で働く職員たちのほとんどは、オーストリアのチロル州にある小さな村グミュントに疎開していた。少量の"356"を生産中で、その増産を予定していたが、シュトゥットガルトのツフェンハウゼン工場はまだアメリカ軍に占拠されていた。  


 
ポルシェ博士もフェルディナンド・ポルシェも元はデザイナーであり、製造に関しては職人に委託していた。それを量産していくためにはこれまでの職人だけでは難しく、フェルディナンド・ポルシェは、901を製造するにあたり自身が納得できる品質で車体を製造できるメーカーを探し続けた。ドイツ以外の国も周り探したが結局見つけることができず、当時欧州で最も多くの自動車メーカーに高級車体を供給していたロイター・シュトゥットガルト車体製造社に試作車から量産車に至るまでを委託することになった。
 
フェリー・ポルシェは当初、数年間で500台売れれば上々という程度の考えだった。しかし356の人気はその予想をはるかに超え、1950年の4月には7万8000台以上が出荷されたのだ。
 
1906年、32歳の馬車職人だったヴィルヘルム・ロイターが、シュトゥットガルト車体製造社を創業。当時はまだ、馬車が移動手段として使用されていた時代で、馬に代わるものがやっと出てきた頃だった。とはいえ、その後に自動車隆盛の時代になることは、彼には分かっていたようだ。彼は抜け目なく、ある会社のそばに本拠地を置いた。それは、ドイツ最初の自動車メーカーであるダイムラー社だった。1920 〜30年代にロイターは、国内の全メーカーや国外の高級ブランド多数に対し、エレガントな車体を提供した。ポルシェ社との提携は1932年に始まり、フォルクスワーゲン社の先駆けとなったポルシェ博士によるプロトタイプを制作したのもロイターだった。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:東屋彦丸(BE-TWEEN ) Translation:Hicomaru AZUMAYA (BE-TWEEN)  Words:Delwyn Mallett

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