ブランド創業110周年を迎えるアルファロメオの栄光の軌跡


 
第二次大戦後のアルファロメオは、1950年に高性能4ドア車の1900を新規投入し、それと引き替えに1951年シーズン限りでGPレースから撤退していった。アルファのマシンは旧態化が否めなかったが、全9戦中5勝を果たして立派な成績を残しての勇退であった。
 
1900の機構は戦前型の技術的贅沢無比の水準からはだいぶ簡略化されていたが、伝統のDOHCを守りながらも車両価格が大幅に引き下げられたことで、新たな顧客層を呼び込むことに成功した。そうした転換期の中にあってさえも、レースへのほとばしる情熱を留めることはできず、1900からはスポーツモデルが派生したほか、純レースカーの1900ディスコ・ヴォランテが生み出された。
 
ここで転換期以降の数字を見てみよう。1900は1959年までに約2万1000台が送り出されているが、54年に新登場した1300ccのジュリエッタはクーペのスプリントだけに限っても9年間で2万4000台に達し、66年にデビューしたジュリア・スプリントGTはさらに好評を得て、2万4000台を超えたのは6年後のことだった。戦前型の最高傑作と評される6Cシリーズ( 1922〜33 年)でさえ、累計が3510台に過ぎなかったことから、アルファロメオの歴史的大転換が大成功したことが分かる。
 
1972年には、国策に沿って南工場の新設と、同所で生産する前輪駆動車のアルファスッドのほか、ジュリアの後継モデルのアルフェッタを投入した。だが、おりからの石油危機と北米市場での排ガス規制の強化、新規投入モデルの初期品質不良、日産自動車との協業で始まったARNA(1983〜87年)の失敗など、様々な問題を抱えて急速に業績を低下していった。光明としては、アルフェッタの最終進系の75(1985年投入)が好評を博したことだが、高い生産コストのため赤字体質を脱却することはできず、I.R.I.は1985年末にフィアットへの売却を決定した。この時にはフォードも買収に名乗りを上げたという経緯がある。
 
フィアット傘下に入ったアルファロメオは、フィアットとコンポーネンツの一部を共有化しながらも、長く培ってきた独自のテイストを盛り込み、1987年の164や、92年の155 、97年の156と矢継ぎ早に成功作を送り出して、復活を遂げた。現在はフィアット・グループ内で欠かせない需要スポーティーブランドとして欠かせない存在となっている。

文:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) 写真:FCA Words:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo. ) Photography:FCA

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