ドイツから広島を自走で!大冒険を果たしたNSU Ro80│1万1000kmを走破した人物にインタビュー

Mazda

2019年の真夏、一台のNSU Ro80が歓迎を受けながらマツダ本社のある日本・広島市に到着した。そのスタート地点は遥か遠く、ヨーロッパのドイツだ。そのRo80は驚くことに、1万1000kmを走破してきたのである。そんな大冒険に挑戦したのは、ドイツ在住のクラウス・フォン・ダイレンさん夫妻。クラウスさんは若い頃から車が好きで、これまでに戦前車なども所有してきているという筋金入りのエンスージアストである。車を運転すること、そして技術的な興味関心も非常に強く、自身でエンジンの点検や修理なども行う。そんな彼が夫婦で旅に出ようと思ったきっかけから、クラウスさんに聞いた。



ー愛車のNSU Ro80で広島のマツダ本社までドライブしようと思ったきっかけは何ですか?
 これまで20年の間、妻と協力して作ったプライベートなルートも含め、長距離ドライブに情熱を傾けてきました。「ドイツから日本まで車で行こう」と思ったきっかけは、1908年に行われたニューヨーク・パリ間ラリーの100周年記念イヤー(2008年)のときでした。

―日本へ行こうと思ったのは具体的にはいつですか?
 2018年8月でした。「今やらなければ、いつやるのか」という思いで、アジアでのドライブを決心したのです。最初考えたのは日本からパリのルートで、方向は逆でした。そんな旅に1967年のRo80を運転していくことは私たちにとって当然のことでしたよ。そして、その準備をしているときに広島のマツダ本社を訪問することを思いついたのです。

― Ro80はNSU製でマツダ製ではないですが、なぜ広島のマツダ本社をゴールとしたのですか?
 NSU以外でロータリーピストンエンジンを作った唯一のメーカーを訪問する、またとない機会を私たちに提供してくれるルートであったためです。ロータリーへ愛着がありましたし。Ro80が完走できることはもちろん、この車がこのルートに最もふさわしい選択であることに疑いの余地はありませんでした。

― ガソリンスタンドの心配や1967年式のRo80の故障などは心配ではありませんでしたか?
 ルート沿いにはガソリンスタンドも十分ありましたが、Ro80 のガソリンタンクが大容量だったことが有利でした。たいていの出来事の経験がありますし、特別なことはありませんでした。車と自分たちの健康状態が最優先事項でした。

―訪れる場所すべてが初めてなのですよね。
 はい。一日一日、訪れたすべての土地が初体験で、1日1000㎞走った日もありました。素晴らしい体験の連続でした。

―マツダまでたどり着いたときにはどんなお気持ちでしたか?
 マツダ本社のビルに到着した瞬間は非常に感激しました。ロシアを1万km走り、フェリーで鳥取県の境港へ。無事に税関手続きを終え、そこから広島への道中は特別な時間でした。



―ロータリーエンジン(RE)のエンジニアとの話はできましたか?
 はい。RE開発を担当した山本さんと同僚は私たちのために長い時間を割いてくださいました。そしてロータリーピストンエンジン固有の特徴について細かい技術的な話しをしてくださり、本当に貴重な機会をいただきました。

―マツダ・ミュージアムツアーはいかがでしたか?
 招待を受けたマツダ・ミュージアムでは、歴代のロータリーエンジンやロータリー搭載車を見ることができ、とても感銘をうけました。もし、マツダからロータリーピストンエンジンを積んだ新しいモデルが出ることがあるならば、私は必ず購入します。

―将来、Ro80と"こうしたい" という計画があれば教えてください。
 新たな可能性や行先を見つけたときはいつでもRo80に乗って旅をしたくなります。20年もの間、独自のロータリーピストンエンジンに失望したことは一度もありませんでした。次の行先は北です。まだまだ旅は続いていきます。

オクタン日本版編集部

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