レースで見事に信頼性を実証したMGB│最良の成績を得た一台

Photography :Tom Wood

MGBは高い走行性能を誇っていながらなかなか陽の目を見なかった名車だ。Octane編集部がMGレース部門全盛期における最高の老兵4台を紹介する。
<@541UXK  1964年 ワークス・セブリング12時間レースカー編>

登録番号を見て混乱しないでほしい。これは後に与えられたもの。この車は1964年のセブリング12時間レースに出場した3台のワークスMGBのうちの一台であり、その当時はナンバーを取得していなかったのだ。


1964年、BMCのレース部門はフロリダでやり残した仕事に改めて取りかかっていた。その前年、セブリング12時間でのデビュー戦で2台のワークスMGBはリタイアを喫していたのだ。それはMGBが壊れやすいという誤った印象を与えたが、レースでも信頼性が高いということを証明するのに、さほど時間はかからなかった。MGにとっての不運は、1962年から63年にかけての冬の間、英国でひどい悪天候が続いたことだった。

つまり、新しいモデルを初めてのレースに参加させるにあたって、英国にはどこにもテストする場所がなかったのである。結局、1963年のセブリングにMGBは事実上テストなしで出場することになったが、間もなくどちらも潤滑不足によるオイルオーバーヒートでストップしてしまった。本拠地に戻ってから、その不具合はオイルパンのバッフルプレートを改良することで解決したという。



1964年のセブリングには3台のワークスMGBが用意された。ただし、名目上は北米のMGインポーターだったノルウェー系アメリカ人のジェル・クヴェールの名前でエントリーされていた。目的は、MGBの信頼性をアメリカの観客に見せつけることで、前年のリタイアによって傷ついたイメージを払拭することだ。この車はエド・レスリーとジョン・ダルトンに委ねられ、3台のうち最良の成績を得たカーナンバー47号車である。

ダルトンは英国人だが、他のドライバーたちは皆よく知られたアメリカ人だった。レスリーとダルトンは他のチームメイトを大きく引き離して、2台のポルシェに次ぐクラス3位、総合17位でフィニッシュした。もう一台は同じく22位、最後の一台はオイルシールの破損で完走できなかった。後に541UXKとして登録されたこの車は度々書物にも取り上げられている。今回のグッドウッドのミーティングに運ぶ手配をしてくれたが、残念ながらサーキットでの試乗はできなかった。現在ではアンソニー・ビニントンが所有している。

編集翻訳:高平高輝 Transcreation: Koki TAKAHIRA 原文翻訳:木下 恵 Translation :Megumi KINOSHITA Words :Tony Dron

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