1957年に起きたファクトリー火災の全貌│生産は上昇し成功へつながった?

octane uk

壊滅的な被害の出たジャガーファクトリー火災の全貌をジャガーの権威フィリップ・ポーターがまとめた。

1957年2月12日の火災によって、XKSSの製造は16台で幕を閉じた。被害は、ブラウンズレーンにあったファクトリーの4分の1にあたる20万平方フィート(5900坪)におよんだ。火災の原因は何だったのだろうか。

「確かなことは誰にも分からない。サービス部門と木材加工場の間に合板の壁があって、なんらかの理由でそこに火が付いた。煙草だったのか何だったのかは分からない。近くにあったタイヤのストックに燃え移って、そこから屋根に広がった。屋根にはタール系の塗料が使われていたから、ものの5分でなくなった」と、当時レースチームを率いていた"ロフティ"イングランドは語っている。

「残業をしていたら、煙が見えるという連絡が入った。私はゲートに電話をして、消火係を呼ぶように言い、どうやらタイヤ倉庫のようだから、市の消防署にも連絡するようにと指示した。火が燃え広がる中、私たちは完成した車を引っ張り出した。火は屋根を伝って広がっており、タールが車の上に溶け落ちて車も燃え始めていたんだ。ほとんどは救い出せた。隣は木材加工場だったので、木材も片付ける必要があり、山ほど運び出した」と証言するのは、試作機ワークショップの責任者だったビル・キャシディだ。イングランドは炎の威力を覚えている。

「すっかり吹き飛ばずに済んだのは、車を屋根からつり下げていたからだ。ちょうどXK140から150に移行しているときで、当時は完成した塗装前のホワイトボディをいくつか保管しておく慣例だった。一番簡単な方法が、屋根の桁からつり下げておくことだったんだ」

「あの頃は、自動的に開いて火を外に逃がすようなパネルもスプリンクラーもなかった。そういった設備がなかったのは、戦時中の古い建物だったからだ。トタン屋根の内側に塗られたタール系の塗料は、燃えるなんてものじゃなかった」

「16の消防署から駆けつけたが、火はごうごうと燃え盛っていた。屋根を支える構造物が非常に熱くなり、つり下げていたボディの重みで桁が落ちて、炎が上に突き抜けた」
 
この火災によって数カ月は生産が停止するだろうと報じられたが、ライオンズは流通業者やディーラーに宛てた翌日の手紙で、「昼夜を徹して復旧作業にあたる」と約束した。
 
しかし、火災による被害は、数百台が保管されていた出荷場や、組立ラインの一部、倉庫、テスト部門、木材加工場など広範囲におよんだ。エリザベス女王からは次のような電報が届いた。「ジャガー工場での恐ろしい火災を知って心を痛めています。昨年、夫と共に訪れたあの工場が早く生産を再開できるよう祈っています。 エリザベス R.」
 
これに対してライオンズはこう返信した。「ありがとうございます。丁重なお見舞いのお言葉をいただき、心より感謝しております。陛下がご親切にも関心を示してくださり、復旧に取り組む社員一同、大いに励まされました」また、首相のハラルド・マクミランからも支援の意を伝える手紙が届いた。
 
ダンロップは、近隣のフォールズヒルにあった古いジャガーのファクトリーを火災前に買い取って拡張していたが、まだ移転前だったので、そこをジャガーに貸すと申し出た。関係者全員が力を合わせ、火災からわずか6日後には一部の生産再開にこぎ着けた。火災によって注目を浴びたことで販売は伸びたが、それもジャガーがレースに復帰しなかった理由のひとつだとイングランドは考えている。

「生産は落ち込むどころか上昇した。災害が成功をもたらしたともいえる」だが、XKSSは短命に終わった。

オクタン日本版編集部

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事