車と共に駆け抜ける。そんな生き方の手本 松田芳穂

Photography: Ryota SATO

近代日本の自動車文化を創り上げた人物の一人として、かつてエンスージアストたちを熱狂させた「松田コレクション」の創設者である松田芳穂氏を挙げることに異論を唱える方はいないであろう。車が生まれてきた目的、秘めているパワーをとことん発揮させ、真の意味で車を楽しんできた松田氏は、一体どのような考えでそのコレクションを紡いできたのであろうか。そして、いま夢中になっている車とは何か。『オクタン日本版』は松田芳穂氏に直接お話を伺う機会を得た。

「松田コレクション」は、創設者である松田芳穂氏が長い時をかけて収集してきた宝だ。日本中の車好きたちを熱狂させた存在であった。一度でも松田氏のミュージアムに足を運んだことのある方は、その時に抱いた記憶に想いを馳せてほしい。
 
松田氏は「松田コレクション」の創設者でもあり、常に自らステアリングを握って希少なクラシックカーから最新スポーツカーまでを乗りこなす。まさに近代日本の自動車文化を真の意味で発展させた第一人者と言っても過言ではない。では松田氏が築いてきた歴史とはどのようなものであったのであろうか、改めて振り返ってみたい。
 
1970年代には既に、ブガッティやドラージュ、ロールス・ロイスなど素晴らしいコレクションを集めていた松田氏だが、ただ車を眺めて楽しむ「コレクター」ではない。近年、クラシックカーは"投機の対象"と表されることもまったくめずらしくないほどに高騰しており、更なる相場高騰を見越して「今のうちに」、と購入する投機家が極めて多いことも事実だ。しかし松田氏の車に対するスタンスはそもそも異なる。かなり整理をされたとはいえ、今なお40台もの車を所有し、しかもほぼすべての車にナンバーが付いており、しっかりと「路上を走る車」としていつでも楽しめる状態にあるのだ。



東京の港区で生まれ育った松田氏は、幼少期からの車好きというわけではなかったそうだ。だが、父親がタクシー会社を営んでいたということもあり車との距離は近かった。高校は慶応義塾志木高校に進み、16歳になるとすぐに免許を取得。会社に導入したダットサン1000の慣らし運転を口実に富士スピードウェイまで車を走らせて遊び、深夜まで帰らず捜索騒ぎになりそうだったことも武勇伝の一つである。慶應義塾大学時代には自動車部に入部。運転をするというよりは、運動をしてばかりの体育会系だったというが、「そういうことも今となっては思い出ですよ」と楽しそうに話してくれた。本格的にサーキットデビューを果たしたのは卒業してからのこと。とはいえ、学生時代は自らSCCJ(日本スポーツカークラブ)に加わりオースティン・ヒーレー・スプライトなどでラリー参加などをしていたそうだ。
 
本格的に運転技術を楽しむようになったのは、日本のレース界に名を残す浮谷東次郎氏との出会いの影響が大きかった。夜通し鈴鹿まで一緒に走った経験などを通じて、様々なことを共に学んだという。1965年にはそこで培ったテクニックを引っ提げて、船橋サーキットで開かれたスピードフェスティバルにミニ・クーパー 1300Sでレース出場を果たした。しかしコーナーでミニをひっくり返してしまう。怖気づくことなくそれからも練習を繰り返したが、2度目のレースでも同じようにコーナーで横転してしまった。松田氏の両親が観に来ており「車禁止令」を突き付けられ、すべて取り上げられてしまったというのだ。

オクタン日本版編集部

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