2種のブリティッシュ・スポーツカーの逸品│同じエンジンを持った2台に対面

Photography:Jordana Schramm


 
私は空港タクシーを降り、時計メーカーであるA.ランゲ&ゾーネのCEOであり、この完璧な2台のオーナーであるウィルヘルム・シュミットに迎えられた。私は数年前A.ランゲ&ゾーネがスポンサーするヴィラ・デステのコンクールに参加したことがあり、その返礼にウィルヘルムを2年前のハンプトンコートでのコンコースエレガンスのイベントの一つであったオクタンツアーに招待した。その時、彼は素晴らしいアストンマーティンDB MkⅢで参加していた。そして今や彼の会社はそのイベントの主要スポンサーとなっている。
 
ウィルヘルムは、自分のコレクションが控え目であることを好む。「ドイツではほとんどの人はこの車を知りません。ACはレプリカなのかと聞かれることはありますが、フレイザー・ナッシュについては質問すら出てこない。でもドイツ人は車好きなのでこれらは人目を引き、皆その正体を知りたがります」 



父親が自動車ディーラーだったウィルヘルムは、ビジネスを勉強する前にメカニカルエンジニアの見習い期間を終えていた。彼は英国でカストロール社に勤めたのちBMWに移り、マーケティング・販売部門のトップになって南アフリカで10年を過ごした。彼は、いまだに彼の最初のクラシックカーであり、自分でレストアした赤いMGBを所有していて、彼の大きなガレージに収め、すぐに始動できる素晴らしい状態にある。「これは絶対に売らない。素晴らしいコンディションだし、40万km走っている。そう、まだ実用車なんだ」とウィルヘルムはいう。
 
ウィルヘルムのビジネスであるA. ランゲ&ゾーネは、1845年にグラスヒュッテで創業し、第二次大戦終結の日まで時計を製造していたという古い会社だ。ところが、終戦とともに会社はソビエト占領区域となりブランドは消滅した。だが、1989年にベルリンの壁が崩壊したことを機に、ウオルター・ランゲ(創業者フェルディナント・アドルフ・ランゲの曾孫)が時計ビジネスを再開し、1994年にランゲ1など4モデルを発表してA.ランゲ&ゾーネが復活を遂げたという経緯がある。
 
ウィルヘルムは、AC とフレイザー・ナッシュの試乗ルートを、彼の通勤ルートに沿って設定した。ドレスデンにある彼の山荘から田舎の裏道をうねるように山間のグラスヒュッテまでというルトは、実に羨ましい"日常の通勤路"であった。ここを走ることが、コレクションを常にパーフェクトコンディションに保つための秘訣だという。MGBをガレージに戻すと、ウィルヘルムはどちらを先に試乗するのかと、私に尋ねた。私はまずACエースを選んだが、その理由は何度かドライブしたことがあり、慣れていたからだ。彼は私にエースの簡単なコクピットドリルを済ませると、自分は素早く体を折り曲げて小さなフレイザー・ナッシュに潜り込んだ。生い茂った裏道を抜ける。予期したとおり、875kgのエースの軽さをすぐに実感する。デリケートで精密。同時にリラックスと洗練さ、そして快適さに感銘を受ける。


ACエースは興味深いヒストリーを持ったいた・・・<次回へ続く>

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers )  Transcreation:Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers ) Words:Robert Coucher Photography:Jordana Schramm 取材協力:A.ランゲ&ゾーネ(www.alange-soehne.com )

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